キャンプ旅に行こう 木曽郡木曽村・R19旧鳥居隧道の探訪記です。
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R19旧道・旧鳥居隧道

探訪:2008年6月某日

旧鳥居隧道・奈良井側



奈良井宿側からR19を南下していくと、県道493号線が右側に分岐する。(上地図のガソリンスタンドの南にある分岐)

左写真の右方向に行く道が県道493で、この分岐から先1km程はR19旧道でもある。

旧道は現道より道幅が一回り狭い。奈良井川にかかる橋も16トン制限で、交通量増加やトラック大型化に対応するのが難しかったのだろう。

今回の現地まではデミオ君で行ったが、現地での移動手段は小回りの効くチャリ。車からチャリを降ろしてセットアップ、旧鳥居隧道に向けてペダルを漕ぎ始める。


しばらく進むと、左側のガードレールが二重になる。どうも線形改良が行われたようであるが、どっちが後から追加で設置されたのかは良く分からず。

ちなみにこの地点の真下が、旧国鉄中央本線の旧鳥居隧道奈良井側抗口だったりする。上から覗き込むと、かつての路盤跡が確認できますが、それはまた別件で。


すぐ先は県道493とR19旧道との分岐がある。

右に登っていくのがR19旧道。えらく道幅が狭いけど・・・と思ったら、合流部だけ県道493に道幅の半分近くを削り取られていた。

写真では良く分からないけど、削られた部分の先の本来の道幅に戻る部分にはゲートがある。しかしこのゲート・・・チェーンが巻かれているが、鍵がかかっていない。

何故こんな中途半端な形でゲートがあるのか考えてみたのだが、おそらくR19旧道への誤進入防止の為ではないかと思う。誤進入してしまったら、旧鳥居隧道は通れないのでUターンするしかない。

写真を見ての通りここまで二車線だった県道493は、分岐を過ぎた途端に道幅が一気に狭くなり、センターラインが無くなる。しかしR19旧道は、旧道とは言え元々幹線道路だったのでそのまま二車線の道路として続いている。

一応県道との分岐には「←伊那」という標識はあるのだが、つい道幅が同じR19旧道に入ってしまう車が多かったのではないだろうか。

まぁこれは個人的な想像なんだけど、この分岐は県道側に車両がうまく誘導されるように小規模ながら線形改良されていて、実際に周辺に改良前の遺構も残っている、そしてR19旧道が合流部だけ意図的に削られている、つまり道幅が明確化されているのもそう考える根拠になっているんだけど。

しかも県道493は今でこそ交通量極少であるが、R361権兵衛トンネル開通前は冬季閉鎖&大型車通行不可能という条件付ながら、木曾谷〜伊那谷間の数少ないアクセス道路だった。当然今より交通量は多かったと推測できる。私自身も以前何度か通ったが、結構対向車があった記憶がある。

この辺りの詳細は、これまた別件でUP予定。

話がそれてしまったが、とりあえずゲートを越えて先に進む。原状復帰がこうした探訪の原則なので開けたゲートは必ず元通りに閉めてチェーンも巻いておく必要があるのだが、今回はチャリなので、手っ取り早くゲート脇からチャリを持ち上げて入った。


R19旧道は、昭和53年に現在の新鳥居トンネル開通後は当然使われなくなったので、現在は両側から藪化が進行中だ。

しかし車一台分の幅だけ藪が無く、極少数ではあるが通行があるようだ。真ん中には消えかかったセンターラインも見て取れる。両側には路側帯のペイントも所々顔を覗かせている。

勾配は意外とあり、チャリのギヤをペダルが軽くなるように切り替えてのんびり登っていく。運動不足の体には、緩い坂でも結構堪える(汗)

昔、薮原側から鳥居トンネルを抜けたトラックは、ここを排気ブレーキをかけながら下ってきたのだろう。しかし道幅も路側帯も現道よりずっと狭く、大型車同士の離合は気を使った事だろう。


少し進むと何やら資材らしきものが道の両側に置かれるようになる。この旧道は、どうやら資材置き場的な使い方をされているようだ。

そして前方にトンネルが現れた。これは栃窪隧道で上の地図にも載っている短い隧道なのだが、よ〜く左写真を見て欲しい。特にトンネル下端辺り、路肩に置かれている資材とトンネル下端の位置関係に注目して欲しい。

トンネル幅が道幅よりかなり狭いのである。

元々路側帯など人間の肩幅あるか無いかなのに、更にトンネルによって道幅を絞り込まれてしまうのである。

これって、もしかして「いんちき二車線」ってやつですか?

地域唯一の幹線国道で交通量は当時からそこそこあったはず。もし天候の悪い日の下りだったら、大型車でなくてもかなりビビるぞ・・・。

抗口自体はのっぺりとしたコンクリ断面で土被り(トンネルから上の土の部分)がかなり少なく、その為にポータル上部片側が斜めに削られている以外は特にこれと言った特徴も無いので、とっととスルーして先に進む。ちなみにこの隧道もなにやら資材が両側にいろいろと置かれておりました。


栃窪隧道を過ぎると、資材を運ぶ車両も入ってこないのか更に藪化が進行する。アスファルトの見える部分がかなり減り、轍は見られるものの中央部分から雑草が生える状態になる。

かつての二車線幅の道路も、実質的に道路中央部しか走行できない状態と化していた。特に右側(奈良井川側)の路側帯は、迂闊に近寄れない雰囲気。


やがて前方にコンクリートで塞がれた旧鳥居隧道が姿を表した。昭和30年竣工、昭和53年に共用停止し閉鎖。23年間の命であった。

こちらは抗口がしっかりとした感じの石組みになっており貫禄を感じさせる。この奥に全長1km以上に及ぶ空間が開いていると思うと、ちょっと感慨深いものがある。昭和53年までは、ここを大型車が行きかったわけだ。

しかしトンネルの大きさ自体は、先程の栃窪隧道とほぼ同じ。トンネルで道幅を絞られる形になっていて、大型車の離合はさぞかし気を使っただろう。

更にR19旧道は、奈良井側から見て右カーブで鳥居隧道抗口に突入している。向こう(薮原側)から来ると隧道を出ると同時にいきなり左カーブに突入するという、幹線国道としてはあまり良くない線形だというのは、素人目にも分かる。

しかし周囲を見ると道路と抗口を真っ直ぐにするのは地形的に難しそうで、やむを得なかったのだろう。

抗口前の地面は漏水によりビタビタ。山側から流れてきたと思われる土が地面を覆っている。旧鳥居隧道の内部は今となっては窺い知ることはできないが、栃窪隧道と違って抗口が閉塞されていて長さもあるから、内部は漆黒の闇なのは当然として、ジメっとした空気が充満し地面も冠水している部分が多いだろう。

地面の様子からして、しばらくの間ここに車両が来ていないようだ。これだけ見るなら「あぁ、この旧道はいずれ朽ち果てて消えていくだけなんだな・・・」と思うところだ。

しかし抗口前の旧道路面上には、何に使っているのか分からないが真新しい電柱が立てられている。これらもメンテナンスが必要だから、その為に今後もこの旧道は当面は残るはず。しかしここまで来ると路肩はかなり危うい感じになっている部分も散見され、今後は本当に必要最低限の整備しかされないだろう。

旧隧道を写真に収め、踵を返す。ゲートまではずっと下り坂で、自転車ならば障害になるものも無いので一気に下りきる。

デミオ君にチャリを収納し、薮原側抗口に向かった。

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