キャンプ旅に行こう 2006年秋・能登の旅日記です。
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2006年秋 能登の旅

10月8日

今日は能登半島を一周する予定。昨日のうちに予定訪問スポットをTM上でチェックしておいたし、早めに出発しようと空波くんを駐車場所から引っ張り出して暖機開始・・・と思ったら、突然雨が降り出してきた。

カッパはシート下に入れてあったので、仕方なくエンジンをいったん止めてカッパ着用。で、再始動しようとしたら・・・またFI警告表示が(T_T) まだ走り出していないどころか、水温も上がっていない状態なのに・・・。仕方が無いので、警告表示が出なくなるまでしばし待つ。

ようやくエンジンを始動し、暖機を済ませて出発。県道3〜県道236〜R249〜県道48〜県道36というルートで向かったのは、旧福浦灯台。

旧福浦灯台

県道36号から案内板に従って細い道に入っていくが、この道は道路と言うよりは路地裏といった感じの道で、正直言って入って良いのかどうか躊躇ってしまうほどの道。しかも道幅は車一台分で急坂。所々、急坂のまま直角に曲がっているし(^_^;)

その急坂を下りきった行き止まりが駐車場になっているのだが、観光客用というよりは地元の人の為の駐車場所といった雰囲気。実際、止まっているのは近所に住んでいる人が乗っていると思われる車ばかり。左手には旧福浦灯台の頭の部分が見えている。

駐車場のすぐ右手には福浦港が。地図を見ると分かるけど港は二股になっており、案内看板によると日本海側では有数の良港なのだそうだ。江戸時代には北前船を初めとした諸国の船で大いに賑わったのだそう。なかなか風光明媚で良い景色である。

駐車場の脇から旧福浦灯台に行くこれまた狭い遊歩道がある。いや、正確に言うと遊歩道と言うよりは、地元の人が使う通路と言うべきか。

歩道を少し歩くと、旧福浦灯台の裏に出る。日本最古とは言え灯台なのだから、それなりの大きさがあるのでは・・・と思っていたんだけど、目の前に現れたのは予想より遥かに小さな灯台でした。

灯台の裏(陸側)には内部への出入り口があるけれど、少し身をかがめないと入る事ができない程度の高さしかない。ちなみに内部は三層に分かれているのだそうだ。

しかし、小さいとは言え断崖の上に立てられているし、灯台としての機能は十分にあったのだろう。

この旧福浦灯台は、案内看板によると約390年前の慶長年間に日野長兵衛という人がかがり火を焚いて夜間航海の安全を守った事が始まりとされ、元禄年間にこの位置に「灯明堂」という建物が建てられて、日野家が代々「灯明役」として灯りを守ってきたのだそうだ。

この旧福浦灯台は、明治9年に日野吉三郎という人が建てたもの。その後昭和27年(1952年)に新しい灯台ができるまでの76年間に渡って、船の安全を見守り続けてきた。現存する木造灯台では日本最古で、石川県指定史跡になっている。

もちろん明治初期の建物であるし、補修は行われている。使われている釘が新しいのが一目で分かるし。しかし、塗られている白い塗料はあちこちが剥がれ、外側の木の板は反ってしまっている。吹きっさらしの断崖上で冬は雪も多いだろうし立地条件が厳しいから、保存するのも大変なんだろうな・・・。

かがり火の灯台からはどんな光が出ていたのか、いろいろ想像を巡らせながらこの地を後にしたのでした。

琴ヶ浜

琴ヶ浜は、日本で39ヶ所ある泣き砂の浜のうちの一つ。泣き砂は大きさが均一で不純物の少ない石英粒が、砂の中に65%以上含まれている場合に音を出す・・・という小難しい話はさておいて、ここには悲恋伝説がある。

結婚の約束をした船乗りの男と遊女がいた。しかし男は海で死んでしまい、男の帰りを待ち続ける女は海岸で波にさらわれて死んでしまう。それ以来、女が男の帰りを待ち続けていた浜は、歩くと音がするようになった・・・というもの。

ここでは今でも、伝説の中に出てくる遊女の名前を取った「おさよ祭り」という五穀豊穣と海難防止を祈るお祭りがある。

悲しい伝説の残る浜であるが、現在は海水浴場として駐車場やトイレ、売店等が整備されている。

空波くんを駐車場に止めて砂浜に下りて歩いてみるが、残念ながら音はしなかった。後で知った事なんだけど、人が多く立ち入る事と海の汚染などで、鳴らなくなってしまったのだそう。今でも音が出るのは、琴ヶ浜でも人があまり立ち入らない区域だけなんだとか。

少々気落ちしながらも更に北上すべく出発。

波の花

波の花は、冬の日本海の風物詩。荒波にもまれた海水から発生する泡の事なんだけど、強風にあおられて泡が空中を飛ぶ姿が見られるので有名。海水中の植物プランクトンが出す粘液によって泡が発生するとの事。

シーズンは11月中旬から2月の下旬・・・のはずなんだけど、今回は発達した低気圧による荒天の直後という事もあって波が高く、10月上旬にもかかわらず波の花を間近に見る事が出来ました。

ここは漁港の横にある奥津姫神社の海中鳥居・・・と言うらしいんだけど(実は良く知らない)、鳥居の向こう側の消波ブロックの隅に波の花が集まっていました。

折からの強風もあり、波の花は写真右側の防波堤を飛び越え、反対側にも沢山溜まっていました。

その場所は車やバイクも入っていける所なのですが、さすがに空波くんをそこへ持っていくのは後々の事を考えると気が引けたので、歩いて行ってみました。

ぱっと見はクリーミーに見える波の花も、間近で見るとやっぱりと言うか案の定と言うか、綺麗な泡ではない(^_^;) まぁ当たり前と言えば当たり前なんですけどね。

で、試しに手を突っ込んでみたのですが・・・。妙に生暖かいのが印象的でした。

波の花は間近に見るよりも、風に乗って宙を舞う姿を見て楽しんだほうが良いのかもしれない。ただ、それを見るのは必然的に強風の時になるので、バイクで見に行くのは大変かもしれないが。

ゴジラ岩

輪島市街地を通過し、更に能登半島先端部へ向かう。相変わらず混雑する千枚田ポケットパークを通過し、R249から道道28へ。すると、「ゴジラ岩」なる看板が。

持参している2003年度版TMには載っていないし、ちょっと立ち寄ってみる事にしたが・・・ここまでそのものズバリのネーミングだと、見る前からカタチが想像できてしまうのがアレですな(^_^;)

んで、駐車場から撮った写真がこれ。どれがゴジラ岩なのか、まぁ大体分かると思います。

波の浸食で出来たのであろう事は容易に想像ができる事だけど、もし形が崩れてしまったら、当然看板は無くなるんでしょうなぁ・・・。

←拡大写真がこれ。今回持参したカメラはパワーショットA530なのであまりズームアップできませんでしたが・・・。

まー確かに形と言い色と言い、ゴジラに似ているといえば似ていますな。

・・・でもこれだけなんですよねぇ(^_^;)

と言うわけで、早々に立ち去る事にしました。

ちなみにゴジラ岩は知床にもあるようです。

恋路海岸

いきなりゴジラ岩とは能登半島の反対側にある恋路海岸に飛んでしまいますが、決してショートカットはしておりません。県道28をずっと走っていたのですが、雨宿りで大きめの公園でしばらく休憩した以外は特に何処に立ち寄ると言うわけでもなく、ずっと走り通しだったもので。

で、恋路海岸は本来は立ち寄る予定は無かった。今回立ち寄ったのは、単に手前から雨が降り始めたので、長靴に履き替えるためだけだったりする。

恋路海岸は、逢引を重ねていた青年と娘の悲恋の物語が名前の由来になった所。

天気が良い日は多数のカップルが訪れる場所でもあるんだけど、今日は断続的に雨が降るせいかカップルはもちろん観光客の姿も少なく、ちょっと閑散とした感じであった。

ちなみに最寄り駅は、のと鉄道能登線・恋路駅だった。恋路行きの切符は結構人気があった。過去形になっているのは、のと鉄道能登線の穴水〜蛸島間は2005年3月31日をもって廃止になった為。

恋路海岸に来るまでの間も、廃線となった線路を横目に見ながら走っていたのだが、使われなくなった線路を見るのは寂しいものがある。線路の撤去作業が既に始まっているようであるし、一部の駅以外は次第にその姿を消していくのでしょう。
その後はホテルに戻り、夕食の為に外出。今日は別のところで食事をしようと思い、昨日の食堂とは駅前ロータリーの向かいにある食事処と書かれたすし屋へ。

鉄火丼と生ビールとイカのフライを注文しただけなんだけど、そこはすし屋だけあって(?)、3000円オーバー(-_-;) けっこう痛い出費でした・・・。

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