キャンプ旅に行こう 建設が始まりながらも財政難・中央道開通に伴い工事が中止となった未成線、旧国鉄・中津川線跡の探索紀です。
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国鉄中津川線の痕跡を探して

昨年の北海道ツーリングで、JR深名線と国鉄士幌線の線路跡を見てから「鉄ちゃん」の血が再び目覚めてしまったようで、日本各地の廃線探索紀行を掲載しているHPを見ているうちに、長野県南部にも未成線(建設途中で工事が中断した路線)がある事を思い出した。

国土地理院発行の地形図を本屋で見ると、その未成線の築堤(線路を通す為の盛り土部分)と思われる記号が入っている(もちろん購入)。

んじゃ、ちょっくら見に行ってみましょうか・・・と言う訳で始まったのが今回の国鉄中津川線探索紀行です。

国鉄中津川線とは?

(この項目はUP時点で私が調べた範囲内で書いた文章なので、今後文章を修正する可能性があります。)

国鉄中津川線は、かつて長野県飯田市から岐阜県中津川市を結ぶ全長36.7km、うちトンネル区間が20.5kmにも及ぶ単線電化区間として計画されました。

その背景として、飯田線の天竜峡駅以南は断崖絶壁に張り付くようにして線路が曲がりくねって敷設されており、また当時の飯田以南の各国道は道幅が狭くてカーブも多く、大型トラックの通行が難しく大雨などによる土砂崩れで不通になる事が多々ありました。

つまり、名古屋方面における物流面での脆弱性を常に抱えていたのです(JR飯田線に関しては基本的に現在も同じで、カーブの多さがスピードアップの障害にもなっています)。

そこで伊那谷と木曾谷をショートカットし、飯田〜名古屋間を1時間30分程度で結ぶ事が可能な中津川線が計画されたのです。この飯田〜中津川間を結ぶ鉄道の構想は、古くは大正時代からあったようです。

計画されていた駅は以下の通りでした。


飯田−伊那中村−伊那山本−阿智−昼神−(夜烏)−(富士見台)−神坂−美濃落合−中津川
(夜烏と富士見台は神坂トンネル内に設置される信号所の予定でした)


そしてこの中津川線が開通するかどうかは、恵那山を貫通する全長12km以上にも及ぶ「神坂トンネル」が完成させられるかどうかにかかっていました。

・・・が、ほぼ同時期に同じ区間を走る中央自動車道の計画も進められており、地元にしても中央道と中津川線の二つに土地を取られると言う事で用地買収は難航。更にオイルショックが重なって物価が高騰、また中央新幹線の構想もあって付いた予算も全額施行されず、更に中央自動車道の恵那山トンネルが先に開通するという事態になりました。

一方の中津川線は飯田市を通る区間の工事は既に着工されており、二ツ山トンネルとその前後はほぼ完成して後は線路を敷くだけという状態になっており、神坂トンネルも長野県側と岐阜県側から調査坑が掘り進められていました。

当時の国鉄の財政が劣悪な状態の中、その後予算は減額され続け1980年に遂に工事が中断、中津川線は夢と消えました。そして中津川線の果たすはずだった役割は、現在は中央自動車道が担っています。

しかし、神坂トンネルの工事は無駄にはなりませんでした。それは、長野県側調査坑を掘っている時に発見された、副産物ともいえる温泉です。昔はこの付近に温泉があったらしいという事は古い文献から知られていましたが、神坂トンネルの工事で再発見される事になったのです。

現在、神坂トンネル長野県側調査坑跡付近は「昼神温泉郷」という温泉地になっています。

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