キャンプ旅に行こう 建設が始まりながらも財政難・中央道開通に伴い工事が中止となった未成線、旧国鉄・中津川線跡の探索紀です。
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国鉄中津川線の痕跡を探して

探索3回目

探索日:2004年2月27日/探索区間:昼神駅〜飯田駅

またもや朝もはよから探索にディグリーで出動。向かったのは昼神温泉郷。そう、神坂トンネルの長野県側坑口がある所。

途中、広域農道を走行中にSR400に抜かれる。今回の私の目的は走る事ではないので、特に張り合おうと言う気は全く起こさずマイペースで走行。陽が当たっているとは言え風はまだ冷たかったしね。

しかし、そのSRとは予想もしない形で後程再会する事になる。


(2009年2月地図追加)


昼神温泉郷に付いて、地図を頼りに坑口があると思われる辺りをトコトコと移動しながら探すが、じぇんじぇん分からない・・・。仕方なく路肩にディグリーを止めて歩いて探索する事にする。

山に近づいて辺りを見回すが、それらしき物は全く見当たらない。コンクリートか何かで蓋をされているはずだし、もしあればすぐにわかるはずなんだけど。

ディグリーを止めてある所に戻ろうとしたその時、ホテルの従業員と思われる方がいたので、ダメモトで聞いてみた。

NOBU:「あの、すみません。この辺りにトンネルの跡はありませんか?」
従業員:「この辺りはトンネル工事は無かったし、無いと思いますよ。」
NOBU:「昔の中津川線の調査坑なんですが・・・。」
従業員:「う〜ん、無いと思うんだけどねぇ〜。」
NOBU:「そうですか・・・。すみませんでした。」

とぼとぼとディグリーの所まで戻り、ネットの地図サイトから印刷して持参した地図を見ながら「おかしいなぁ〜。事前調査じゃこの辺りにあるはずなんだけど・・・。さて、どうしたものか。」と考えていたら、先ほどの従業員の方が。

従業員:「うちに古くから勤めている人がいるから、聞いてみるよ。」
NOBU:「えっ!でも私が個人的に調べている事ですし、あまりお手数かけるわけには・・・」

とは言いつつも知りたいと言う欲求が勝ってしまい、恐縮しつつもお言葉に甘える事に。

程なくして戻ってきた従業員の方の話によると、何とそのホテルの露天風呂の敷地内に調査坑の跡があるとの事!

しかし見たいとは思ったものの、そのホテルでは外来入浴は受け付けていなくて、露天風呂を利用するには宿泊するか、昼食と温泉がセットになったプラン利用しなければならないとの事。10時前なら露天風呂は掃除中との事なのだが、まさかこの為だけに見せてもらうのも申し訳ないし、ちょうどホテルのお客さんがやってきてしまったので、今回は断念せざるを得なかった。

このホテルの露天風呂の敷地内に神坂トンネルの調査坑の跡があるの事。どうりで外を探しても分からなかったわけです(^_^;)

まだ調査坑跡を自分の目で確認したわけではないので、ホテル名はあえて書かない事にします。

従業員の方に再び頭を下げてお礼を言い、帰路につく。

国道から来る時に走った広域農道へ入る。すると、前方に警察車両が止まっていて事故処理を行っていた。

「この道はみんな飛ばすからなぁ」と思いつつ警察車両の横を見ると・・・運転席側ドアの大きく凹んだ軽自動車と、その横に来る時に追い抜いていったSRが。

SRのライダーらしき人物は見当たらなかったし、車のドアの凹み具合からして無事ではないだろう。SRのライダーが一命を取り留めていることを祈りつつ、飯田市内へ向かう。



中津川線の飯田市内の区間は、既に線路予定地は住宅地になっていたりR153のバイパスができていたりして、最初は期待全くしていなかった。しかし、事前調査で飯田IC近辺にも路盤跡と思われるものが残っていると判明、早速向かってみた。

細い路地をウロウロしていたら、所々にベンチのある広い歩道とそれに並んで作られている公園を発見。この付近は車1.5台分の幅の道路がほとんどなのに、その歩道は車道と同じかそれより幅が広い部分もある。しかも一直線に続いていて、地図上で南へ延長してみると二ツ山トンネル手前の築堤付近に繋がっている。


(2009年2月地図追加)


そう、この歩道こそが中津川線の路盤跡と推察できるのである。(あくまで推察です)

ほぼ一直線に続く広い歩道。左の植え込みの左に道路がありますが、その道路より広かったりします。遊歩道の北側の端より撮影。
遊歩道の真ん中辺りに公園が。ベンチもあったりして、かなりゆったりとしたスペースの使い方をしています。この遊歩道の南側は、R153バイパスまで続いています。

でも、路盤跡地の使い方としては悪くないような気がする。周囲は住宅地だし歩道は道路と隔絶されてるし、子供の遊び場にもなって良いのではないだろうか。ギチギチに住宅が建て込んでいるよりも余裕が感じられるしね。



一通り確認した後、飯田線との分岐点予想地点へ。向かったのは飯田駅の南にある知久町踏切。

JR飯田線知久町踏切から豊橋方面を見ると、線路の右側に線路1本分のスペースが開いています。以前はここにもう1本線路がありました。

その線路が中津川線に繋がる予定だったという話を聞いていました。かなり昔の話ですが・・・。
写真中央に小さな踏切がありますが、記憶ではこの手前まで線路があったような・・・。その先には線路1本分の幅の路盤しかありません。

この先どのように線路を通す予定だったのか、まだよくわかりません。実はこの先は松川という川によって削られてできた河岸段丘になっており、結構高低差があります。

飯田駅の豊橋方面の次の駅は切石駅ですが、切石駅は松川のすぐ横にあって河岸段丘の一番低い部分になるので、そこまで並行してしまうと前述の公園になっている路盤跡とは距離の割に高低差が大きくなってしまって接続が非常に不自然になる事、同じ理由で中津川方面に向かって登り急勾配にならざるを得ず、あまり現実的とは言えません。

国土地理院の地形図を見ながらの予想では、中津川線はこのまま切石駅に向かって下っていかずにかなり西側に大回りしたと予想しているのですが、今の時点では未確認。

JR飯田線・切石駅です。豊橋側ホーム端より飯田方面を撮影。鉄道マニアには有名な駅らしいです。何故かというと、これほどの急カーブの途中に駅があるのは全国的にも珍しいからみたいです。線路も若干傾斜しており、電車は傾いた状態で停車します。

駅の入口に「車両中央ドアからは乗り降りしないでください」との注意書きが。理由は、急カーブの為ホームとの車両の間に危険なほど隙間が開いてしまうからです。

今後も機会を見つけて探索してみようと計画中です。

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