キャンプ旅に行こう 建設が始まりながらも財政難・中央道開通に伴い工事が中止となった未成線、旧国鉄・中津川線跡の探索紀です。
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国鉄中津川線の痕跡を探して

探索1回目

探索日:2004年2月1日/探索区間:伊那中村駅〜伊那山本駅

国土地理院地形図にはっきりと残っている区間の探索から始める事にした。

まだ2月が始まったばかり。晴れているとは言え朝は結構冷え込んで、探索に向かうにもキツイものがある。顔面が凍りつきそうになりながらも、目的地に向かってひたすらディグリーを走らせる。

国道153号(256号との重複区間)の中村交差点から少し下り、中央道をくぐってすぐの右手に細長い公園がある。ここが地形図に載っていた、中津川線の路盤跡である。


(2009年2月地図追加)


この区間には路盤跡がはっきり残って・・・と言うよりも、そのまま放置されていると言うほうが正解。柵から先は細長いちょっとした公園になっています。
公園を過ぎて更に進むとこんな感じ。この部分は築堤(盛り土)になってます。ここは伊那中村駅の予定地だった所で、築堤も前方に見えている小さな橋までの部分だけ広くなっています。

公園から先は車両進入禁止のため、隅にディグリーを止めて築堤上をてくてくと歩く。築堤上は一面草地になっている。作られた頃は当然線路を敷設する予定だったはずだから、後で芝が張られたか30年以上放置されて雑草が生い茂ったのを刈り取ったかのどちらかだろう。周囲は畑と田んぼで長閑である。

少し歩くと、トンネルに突き当る。これが二ツ山トンネルで、中津川線で唯一完成したトンネルとの事。内部の暗さが不気味な雰囲気をかもし出しているが、とりあえず中を覗きこむ。

内部は一部落書きがされているが長年放置されてた割には綺麗な感じで、線路が敷かれていたら電車が走ってきそうな感じだった。

二ツ山トンネル飯田側坑口。ちなみにトンネル全長は約2km。進入できないように柵はありますが、無理やりこじ開けられた形跡が・・・。
こじ開けられた部分から内部を撮影。30年以上放置されていた割には綺麗な感じでしたが、壁面にはスプレーによる落書きが・・・。
築堤の作られたのは1969(昭和44)年2月。今から35年前。
築堤はこのように残っています。撤去するにも費用がかかるし、しばらくはこのまま残る事になるのでしょう。

一通り見て回った後、二ツ山トンネルの山本側坑口を探索する為に出発。山本側にも路盤跡が残っているのは地形図にて確認済みなので、地形図を見ながら国道153(現在はR153旧道)から伊那谷道中(テーマパーク&温泉)方面に左折する。


(2009年2月地図追加。2004年探索時はR153新道はまだありませんでした。)


左折して最初の橋が中津川線の誇線橋で、下には路盤跡がはっきりと残っていた。こちらは築堤の他にも切り通し(盛り上がっている部分を切り開いた部分)もある。

切り通し部分は橋の上からほとんど見渡せる。路盤跡の昼神方面は、途中でぷっつりと途絶えていた。どうやらここまで工事が進んだ所で中断となったらしい。ちなみに路盤跡が途切れている付近は、伊那山本駅の予定地だったとの事。

誇線橋上から昼神方面を望む。写真中央付近で路盤跡が途切れています。将来ここは三遠南信自動車道の飯田南ICになるとの事。真下から右に通っている轍は、その為の工事用大型車両の道路になっています。
2009年2月再訪時

R153新道が作られ、大きく様変わりしてしまいました。前方の築堤上は、中央道飯田山本ICのランプウェイ兼三遠南信自動車道のジャンクションです。


同じく飯田方面を望む。二ツ山(写真奥の右側の山)に向かって、路盤跡が続いています。現在は工事用大型車の通路になっていて、この切り通しが無くなるのも時間の問題でしょう。
2009年2月再訪時

切り通しは片側が大きく切り崩されてしまっています。路盤跡はかろうじて残っていますが・・・。

手前の階段は、橋上からR153へ下りる為の階段ですが、2009年2月現在は工事中で進入不可でした。

写真のコメントにもあるように、ここは将来は三遠南信自動車道の飯田南IC予定地(現在は飯田山本IC)。この付近の中津川線の路盤跡はICのランプウェイになる予定らしく(現在はR153新道)、消え去るのもそう遠い未来ではないでしょう・・・。

次に、この路盤跡を飯田方面に向かって進む。とは言っても路盤跡に沿って道があるわけではないので、あちこちウロウロしながら追っていくしかない。とりあえず一つ北側の越線橋に移動。

切り通し部分は結構長く続いています。工事車両の通路になるまでは、地元の子供達の通学路としても使われていたようです。
2009年2月再訪時

2004年当時の面影は、左端の建物以外ほとんどありません。


この切り通しも、あと何年残っていることか・・・。
2009年2月再訪時

R153新道によって、切り通し右側は大きく削り取られてしまいました。

切り通し区間が終わると、今度は築堤が。ここからトンネルまでは工事車両は通らないので、今も遊歩道として使われている。ディグリーを近くに止めて築堤上を歩くが、電車の通るはずだった場所を歩いていると言うのは何だか変な感じがする。

この築堤の先には橋があったんだけど、撤去されていて遊歩道はそこでおしまい。でも、築堤はトンネルに向かってまだ続いている。と言う訳で、ディグリーの所まで戻ってこの先を探索することに。

切り通し区間が終わって最初の築堤。
2009年2月の同じ場所。

柵は新しく作り直されましたが、築堤は今も現存しています。もちろん通行可能(歩行者のみ)。


橋はすっかり撤去されて跡形も無くなっていました。下に道があるんですが、そこには写真左側から階段で下りられるようになっています。

地形図を見ながら細い路地をうろつき、畑の前で行き止まりになっているところにたどり着いた。築堤は目の前に横たわっている。畑の中を通させていただいて(もちろん歩きで)、築堤上に登る。

前方には、竹やぶの中に二ツ山トンネルの山本側坑口があった・・・が、手前の橋も撤去されていて、更に柵もあって接近不可能だった。

二ツ山トンネル山本側坑口。接近する道があるかどうか探そうかなぁと思ったんですが、とりあえず位置を確認したんだし無理する必要も無かろうという事で、望遠で写真を撮ったのみ。
築堤の端っこに柵がありますが、そこから先は行けませんでした。

と言う訳で、ここで中津川線探索の1回目は無事完了。かなり収穫があって満足したのでした。

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