JR飯田線の旧線跡をバイクで巡ってきました。その時の散歩日記です。 | |
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JR飯田線・旧線巡り その12005年5月21日以前から行ってみたかった、JR飯田線の旧線跡を巡ってきました。 JR飯田線についてJR飯田線は、もともと伊那電気軌道・三信鉄道・鳳来寺鉄道・豊川鉄道という四つの私鉄として誕生しました。辰野と豊橋の南北両端から路線が延びていき、1923年(大正12年)に豊橋〜三河川合間、1927年(昭和2年)に辰野〜天竜峡間が開業。そして三河川合〜天竜峡間を繋ごうという構想が実現に移され、三信鉄道が設立されました。建設にあたって一番の難関だったのがこの区間で、鬱蒼とした森林と断崖絶壁、そして中央構造線が近くを通る事から地質も脆く建設は難航。 日本人測量技師がお手上げ状態に近い中、北海道からアイヌ人測量技師の川村カネト(カ子トとも書く。記念館が旭川にあるとの事)を招き、日本人技師の反発・工事中の事故など幾多の困難を乗り越えて、1937年(昭和12年)についに辰野〜豊橋間が繋がりました。 そして1943年(昭和18年)に中央線と東海道線を結ぶ重要路線という認識から国鉄が4社を買収、国鉄飯田線が誕生しました。 その後、所々で線路の移設が行われました。代表的なのが大嵐駅〜佐久間駅間で、地図を見てもらえば分かりますがこの区間だけ長いトンネルを介して山一つ分東側を走っています。これは佐久間ダム建設に伴って同区間がダム湖に沈んでしまう事から昭和27年に移設されたものです。 この区間にあった3駅(白神駅・天竜山室駅・豊根口駅)が湖底に沈んでいます。ちなみに、この区間は佐久間ダムの水位が低い冬になると湖底から姿を現す事があるそうです。 また平岡ダム建設による水位と河床の上昇に伴い、遠山川近辺の区間も少し東側に移設されました。その際「遠山口駅」も廃止されました。また平岡駅〜鶯巣駅間もカーブの緩和を目的に線路の移設が行われており、旧線は今も国道418号線沿いに残されています。この他にも旧線跡が残っている模様。 今回はこれらの旧線跡を見に散歩してきました。 ・前書き ・「我科駅」跡、「遠山口駅」跡 ・平岡駅〜鶯巣駅間、大嵐駅、夏焼トンネル ・佐久間レールパーク |
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