キャンプ旅に行こう JR飯田線の旧線跡をバイクで巡ってきました。その時の散歩日記です。
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JR飯田線・旧線巡り その1

「我科駅」跡、「遠山口駅」跡

朝7時に一度目を覚ましたが、「もうちょっと・・・」と思って二度寝を決め込んだら、次に目が覚めたのが8時前(^_^;) 慌ててカメラ等の準備をしてディグリーで出動する。

今回の散歩には目的がひとつ。それはJR飯田線の旧線跡を巡ってみたいというもの。飯田線の天竜峡駅以南には佐久間ダムによって線路が水没してしまう為に線路が移設された区間や、廃止になった駅もいくつかあります。

以前にもこの辺りには何度か来ていて旧線跡も見てはいるのですが、今回はJR飯田線関係のサイトをいくつか見て知ったものを、この目で確認してやろうと出かけてきた次第です。

県道1号を南下してまず向かったのが、三信鉄道から国鉄飯田線になると同時に廃止になった「我科(がしな)駅」の探訪。もっとも探訪とは言っても事前にどの辺りにあるか情報は得ていたし、「我科」と言う地名自体はまだ残っているので割と簡単に探し出す事ができました。具体的な行き方は、思う所があって省略させていただきますm(_ _)m

我科駅跡はとある踏切のすぐ近くなんだけど、踏切に近づいたら「危険です。踏切は左右を確認してから渡りましょう」という音声案内がいきなり流れてきて周囲に響き渡ったのにびっくりしました(^_^;) この踏み切りは通る人が一日0人の日が多いんじゃないかというくらい静かな場所にあるんですよね〜。

三信鉄道時代の「我科駅」跡です。1943年(昭和18年)に廃止になったようなので、60年以上放置されている事になります。廃止になった理由は、ひとつ辰野寄りの温田(ぬくた)駅との距離が短すぎるからとの事。

ホームが石積みになってるあたりに時代を感じさせます。ホームに行く階段も残っているらしいのですが、確認できませんでした。

再び県道1号を南下、次に向かったのが「遠山口駅」跡。平岡ダム建設に伴って少し東側に線路が移設されると同時に廃止になった駅で、事前情報では付近に路盤跡も残っているとの事。

一旦R418に出る。前回このあたりに来た時は工事中だった新十方峡トンネルが開通していて、信号による交互通行だった旧十方峡トンネルは通行止めになっていました。

R418の十方峡トンネル(左)とJR飯田線のトンネル(右)。

飯田線のトンネルのすぐ左にあるのが旧十方峡トンネルで、飯田線のトンネルを流用していた為にすれ違いができず、信号による交互通行になっていました。現在は通行止めになっています。信号は残っていますが、当然動作していませんでした。
旧十方峡トンネルの辰野側で、R418の旧道でもあります。写真中央のブロック塀あたりに遠山口駅がありました。見ての通り、現在は跡形もありません。

この場所は後ほどまた登場します。
旧線跡は底上げされて、人間用の吊り橋になってます。
左に見えるのが、現JR飯田線の鉄橋です。

新十方峡トンネルを抜け、R418の旧道へ。旧トンネルは通行止めになっていて、ここから先は遠山川の川原に出るしかないので袋小路。当然交通量はゼロ。吊り橋に上っていく道の下にデグを止め、吊り橋の先にあるという路盤跡の探訪に向かう。

吊り橋を渡っている途中でちょうど電車がやってきたのでパチリ。
吊り橋を渡り終えると、いきなりトンネル。しかもこちら側だけ半分ほど埋まっています(^_^;)

もちろんこれは旧線のトンネルで、こちら(吊り橋側)だけ埋まっているのは周囲の状況からして増水で埋まったのではなく、人為的に埋めたみたい。
上のトンネルを抜けると、またまたトンネルが。こちらはちょっと長く、行き帰りとも足早に抜けました。
二つ目のトンネルを抜けると、こんな風景が。崩れかかった小屋に一台の軽トラ。いつどうやってここまで来たのかは分かりませんが、もう脱出は不可能なのでここで朽ち果てていくのでしょう。

この路盤跡のすぐ左は平岡ダム湖です。
更に進むと歩ける場所は路盤跡から少し右にそれて、現JR飯田線に突き当たります。

二つのトンネルを足早に抜けて、ディグリーの元に戻る。R418に戻り、更に南下。次に向かったのはJR飯田線大嵐駅。以下次のページへ・・・。

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平岡駅〜鶯巣駅間、大嵐駅、夏焼トンネル
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