キャンプ旅に行こう 2008年GW・四国ツーリングの旅日記です。
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2008年GW 四国の旅

5月3日

エリミネーターの兄ちゃんは徳島から出るフェリーに乗るということで、まだ暗いうちに出発していった。私は寝ぼけ眼でテントの中で出発していくのを聞いていたが、もちろん起きられるはずも無くそのまま二度寝。

5時過ぎにゴソゴソと起きて缶コーヒー片手に一服し、カップ麺朝食もサクサク済ませてテント撤収、7時過ぎに美濃田の淵を後にする。

とりあえずR192を更に西進、最初の目的地へ向かった。

別子銅山記念館

別子銅山記念館は、新居浜市郊外の県道47号線沿いにある。

鉱山記念館らしく半地下構造になっていて、屋根に当たる部分には一面にサツキが植えられており、花が満開になる5月頃には見事に真っ赤になって新居浜市のサツキの名所にもなっているとの事。

歴史・技術・生活風俗などの各コーナーに分かれて展示されているとの事だが、残念ながら時間が早すぎてまだ開館しておらず、見学はできなかった。

仕方が無いので、外に展示されている鉱山鉄道で使われた各種車両群を見学。

右写真のSLは、鉱山鉄道用としてドイツから購入されたもので、鉱山での輸送の他に旅客輸送にも活躍したとの事。重量8トンの、可愛らしいSLである。

別子銅山の鉱山鉄道は、採掘現場付近の上部鉄道と端出場(はでば)に下ろされた鉱石を精錬所に運ぶ下部鉄道とがあり、Web情報を見るとこの機関車は上部鉄道で使われていた。

他にも機関車のメーカーから部品の状態で購入して自力で組み立てた電気機関車や、坑道用の超小型電気機関車、採掘された鉱石輸送用の貨車や人員輸送用の客車(と言っても小さな貨車を金網で囲って、中に簡素な座席を付けただけ)が展示されていた。

開館まで待っているわけにも行かなかったので、展示車両の見学後は別子銅山方面に向けて出発。



とりあえず、道の駅マイントピア別子に立ち寄る。何年か前に来た事があるのだが、その時は道の駅から先が通行止めだった為に休憩だけで先に行ってしまった。

ここは別子銅山の端出場の後に建設された道の駅で、敷地内に数々の産業遺産が残されているのだが・・・この時点ではその事をよく知らなかったので、何か資料でもあったら見ていこうと思い建物の中に入るが、それらは全て有料。という訳で早々に退散(^_^;) ちなみに利用料金は大人1200円です。

別子銅山・東平地区

交通規制等が無いのを確認して向かったのは、マイントピア別子・東平(とうなる)。県道47号線から狭い山中の道を登った先にある東平地区は、大正5年〜昭和5年まで別子銅山の本部が置かれた中心地。

しかし別子銅山自体の始まりは、実は東平地区ではなかったりする。「鉱山越」と呼ばれる峠の反対側の、現在は別子ダム湖のある辺り(TM中国四国版 P77-B-2からB-3あたり)がそもそもの始まり。

古くは江戸時代から採掘が始まり、坑道も標高1300mから海面下1000m以下まで及ぶ世界でも有数の銅山だった。特に特徴的なのが、その全てが住友という企業によってによって行われたことで、現在の住友は別子銅山が始まりだったとの事。

狭い舗装林道といった趣の道を登っていった先の東平地区は小中学校はもちろん娯楽施設や駅まであり、東平地区全体が人口約4000人の一つの街であった。

今は地区全体が産業遺産として整備されているが、残念ながら当時の建物や鉱山鉄道はほとんど残っておらず、建物の土台部分や鉱山鉄道のトンネル・坑道が残っているのみ。

駐車場にスカブを止め、とりあえず資料館に入る。館内は全盛期の東平地区のジオラマの他、当時の生活や銅山での仕事等が紹介されている。ちなみにこの資料館は、かつては鉱山鉄道の停車場があった場所なのだそうで。

そして一番の見所は、周辺にいくつもあるかつての銅山の産業遺跡群だ。その中でもメインとも言えるのが、かつて電車も通ったという第三通洞という坑道。

駐車場から第三通洞まで結構距離があるのだが、車やバイクは途中までしか行けないし、スカブ君はそのまま駐車場に置いておいて徒歩にて向かう。途中にも鉱山鉄道が通っていたトンネル(坑道)があるのだが、それらは全て金網で抗口が塞がれていた。

遊歩道をしばらく歩くと、ベンチ&テーブルがいくつも設置されている広場に出た。人気(ひとけ)が無いその広場の周囲をきょろきょろと見渡してみると、右側に変な向きでトンネルがあるのに気が付いた。それが右写真。

これは旧火薬庫跡で、元々は坑道だったのを火薬庫に転用したものとか。万が一の場合に被害が周囲に及ばないように入り口の前には土が盛られています。変な向きに見えるのは、その為。

中を覗きこんでみたが、火薬の保管場所を区切る為と思われる壁があるのは分かったのだが・・・それ以外は漆黒の闇。岩盤を支える為と思われる木の支柱も折れて地面に落ちている・・・という状態だった。

写真も撮ったが、内部の高湿度の為か全体が白く曇った感じになり、とても不気味な写真になってしまった(汗)。


そしてこれが別子銅山東平地区の目玉(?)、第三通洞の東平側坑口。銅山越えの山向こうの旧別子山村と後に開削された日浦通洞という坑道経由で繋がった(第三通洞と日浦通洞は、垂直に掘られた立坑を境に繋がっているので、事実上は一本の坑道になる)。

更に明治38年には電車(!)が導入された上に一般にも開放された(しかも無料、ただし安全の保障は無し)との事で、旧別子山村の人々が新居浜方面に向かうのにも利用されたとの事。もっとも電車と言っても小さな蓄電池機関車や電気機関車に牽引された、前述した金網客車なのだが・・・。

ちなみにこの第三通洞の真下約600mには後に更に長い第四通洞も開削され、第三通洞とは立坑で繋がっている。これにより、採掘された鉱石は現在は道の駅になっている端出場へ直接運び降ろせるようになった。ちなみに第四通洞抗口は、道の駅マイントピア別子の敷地内にある。

今はこうして淡々と書いてますが、何本もある各坑道の位置関係を把握するのには、いろいろなWebサイトを見て回っていた関係でかな〜り時間がかかりました(^_^;)

坑道いうと無骨な素掘りのトンネル・・・というイメージがあったんだけど、この第三通洞抗口はちゃんとデザインされ、石組みのアーチがなかなか見事。

しかしそれは抗口だけで、中はやっぱり鉱山の坑道・・・という感じだった。

右写真は、フェンスの隙間から撮った、第三通洞内部。まだレールが残っているが、抗口近くの銘板を見たら平成になって埋め戻しが行われたようで、現在は反対側には通じていない。

内部は先程の火薬庫と違って若干ながら管理されている感じがする。岩盤を支える支持杭も、先ほどの火薬庫と違ってまだしっかりとした感じ。この第三通洞は、昭和48年に閉山するまで使われていた。

現地案内看板の写真(別ウインドウ、115.6KB)

別子銅山跡はここだけではなくて、最初に採掘が始まった現在の別子ダム周辺〜鉱山越え周辺には数多くの遺跡というか産業遺産が残されているとの事。ただし登山道でバイクやクルマでは進入不可なので、時間に余裕が無いと見て回るのはちょっと難しいんだよなぁ・・・。

手元の資料(新居浜の産業遺産パンフ)によると新居浜市には東平や旧別子の他にも、銅山関連の産業遺産が市街地にもいろいろある。機会があったら、こうした産業遺産を見て回るのも良いかもしれない。いや〜、こういうのって個人的に好きなもので(^_^;)

石鎚スカイラインへ

次に行ってみたのは、愛媛県道12号線・石鎚スカイライン。

とりあえず西条市からR194に入り、南下。実はこの時点でR194は土砂災害か何かで高知方面には抜けられない、という情報を得ていた。実際そういう表示も出ていたのだが、構わず進行。

何故かと言うと、それらの情報によると実際に通行止めなのは寒風山トンネルの10km以上先なのを知ったから。石鎚スカイラインへの入り口は寒風山トンネルの前か後から(現在のR194旧道みたいで、旧寒風山トンネルもある)なので、問題ないというわけ。旧道経由で石鎚スカイラインへ行こうと考えていたが、旧道の西条市側入り口は通行止めらしくバリケートで封鎖。

そんな訳で一度寒風山トンネルを抜けねばならなかった。それにしてもこの寒風山トンネル、ほぼ直線なのは良いんだけど・・・トンネル名の通り(?)、中は寒いっ! 夏なら涼しくてちょうど良いかもしれないが(^_^;)

とりあえずトンネルを抜けてから旧道に入り、石鎚スカイライン方面に向かうが・・・スカイライン自体より、こちらの道のほうが印象的だった。

道自体は高知県・いの町の町道みたい(愛媛県西条市との県境を走る道なので、主にどっちの管轄なのか正直良く分からないが・・・)。

どっちにしても、道の管理はお世辞にも行き届いているとは言いがたい。道幅は狭いし、舗装がボロボロになっている箇所も多数。

しかも結構頻繁に対向車がやってきます。もちろんバイクも。しかも残雪まであったりするし・・・。ロードバイクでも十分走る事はできますが、飛ばす道じゃないので行かれる方はご注意を。

しかし対向車や路面に注意を払いつつ標高を上げていくと、写真のような良い景色が待っている。石鎚スカイラインより印象に残っているのは、この景色があったからかも。

よさこい峠(TM中国四国版 P76-J-5)の県道40号との分岐では、進行方向の道の狭さに「本当に直進していいのかいな(汗)」と迷いつつも、通りすがりのスカイライン(車名です)の方に「直進で良いですよ〜。実は私も間違えましたから(苦笑)」と道を教えてもらいつつ、何とか石鎚スカイラインにたどり着く。

・・・が、人と車とバイクが多いこと。一服だけして早々に退散。石鎚スカイラインを通ってR494へ出るが、石鎚スカイライン自体はほとんど印象に残っていない・・・と言うより、どんな道だったのかも思い出せない(爆)。



とりあえずR494からRヨサク(439)に入って南へ。四万十川源流方面に向かう。県道378からダートを入った先に源流があるのだが、分岐点には車が何台も止まっている(-_-;)

ダートという事は知っていたので路面状態によってはスカブで行ってみようかと思っていたのだが、歩きで入っている人が多い事が容易に想像できたのと、オフロード車(四輪のほうね)で入っている人も少なからずいそうだし、もしスカブで入って鉢合わせになったら擦れ違うのも大変そう・・・という事で、ここで断念。

県道378は源流方面の分岐から先(南方向)が通行止めだったので来た道をそのまま戻ってRヨサクに戻り、R197を西へ。とりあえず道の駅「布施ヶ坂」で昼飯にしようと思ったら・・・ここも混雑しまくり。バイクですら留めておく場所が無さそうで、あっさり断念して引き返す。

県道19号を南下して、今夜のキャンプ地・天満宮前キャンプ場に早々に行く事にする。



で、天満宮前キャンプ場に来ていきなり驚いた事が。まず一つ目が管理棟横に立派なウッドデッキが出来ていた事。そして駐車場に広いトイレとシャワールームが出来ていた。

それと引き換えに従来サイトの中にあった汲み取りトイレは撤去されて水道のみになったが、大多数のキャンパーはトイレの水洗化のほうを歓迎するだろう。

こうした設備を増築できるのは、それだけ利用者が多いという事なのだろう。実際、今年もサイトの大部分が埋まっている状態で、遅くに来るとテントの張る場所すら無くなりかねないくらいだったし。

とりあえずとっととテントを設営し、昼飯を買出し。その後は夜までまったりと過ごした。

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