キャンプ旅に行こう 2008年GW・四国ツーリングの旅日記です。
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2008年GW 四国の旅

5月4日

朝7時過ぎ、まだ交通量が少ないR56を南下する。今日の目的は沈下橋巡りだ。中村の市街地で道に迷いつつも何とか県道340に入り、狭い道を走って最初に向かったのは佐田の沈下橋。

沈下橋は増水時に水没する事を前提にして作られている。水没時の水の抵抗を低減する為に欄干が無く、幅も一車線分しかない。また橋自体も流木や土砂による土石流を防ぐ為に、低い位置に作られているのが特徴。

ただし道幅に関しては私の知っている範囲内では・・・なので、全国にある沈下橋の中にはもっと道幅の広い沈下橋もあるかもしれないが。

沈下橋は万が一流されても、構造が簡単なので復旧も普通の橋より容易・・・というメリットがあったりするのだが、構造上転落事故が絶えない事と増水時には橋として機能しなくなる為、新たに造られる事はほとんど無い。

※「潜水橋」という言い方もありますが、ここでは「沈下橋」で統一します。

佐田沈下橋

この佐田沈下橋は、調べた所によると四万十川にかかる沈下橋では最下流にあり、なおかつ最大のものとか。途中には対向車と離合できるよう道幅が部分的に広くなっているが、欄干が無いので慣れないと対向車との離合は恐怖でしょうなぁ(^_^;)

有名な沈下橋との事で観光シーズンは訪れる人が多いらしいが、時間が早いせいか観光客はいたがその姿はまばら。

早速スカイウェイブで渡ってみるが、欄干が無いので気分的に「やたらと幅が広い、ただし絶対落ちてはいけない一本橋」という感じになってしまう。そのまんまの表現ですが・・・(^_^;)

んで、橋を1/3ほど渡った時点で・・・来てしまいましたよ対向車が(-_-;) もっともこっちはスカイウェイブだし、ちゃんと待避所(?)の部分ですれ違ったのでどうという事は無かったんですが。

その他沈下橋

三里沈下橋

場所は佐田沈下橋から県道340を少し西に行った所。

両端の川原に下りられず、佐田沈下橋より幅が狭く離合場所も無い。地元の生活道路的な趣が強い。

ゆったり流れる四万十川が沈下橋と周囲の山々を写しこんでいて、このアングルは個人的にお気に入り。

で、早速渡ってみました。車が来ないのを見計って左のお約束の写真(?)を撮ったが、後からやって来たカップルの車も同じ事をやっていた(笑)。

沈下橋は普段眼にしないものだから、考える事はみな同じというわけですな。

その後R441に合流、北に向かう。

高瀬沈下橋

四万十川の沈下橋の中では3番目に長いとかで、国道沿いの為か観光客も多いそう。

ただ私が訪れた時は観光客の姿はほとんど無く、ゆっくりと往復できました。川には屋形船も浮かび、乗っている人と眼が合ってしまったり。のんびりして良い雰囲気。

勝間沈下橋

勝間沈下橋の国道側は広い川原が広がっていて、車の乗り入れができる。キャンプやカヌーを楽しむ人も多いようだ。

この沈下橋は橋脚が3本あり、他の沈下橋にはあまり見られない特徴なのだとか。釣りバカ日誌14の撮影が行われたらしいが、見ていない私は後日その事を知ったのでした。

この橋もとりあえず往復したが、車が多くてゆっくり楽しんでという感じでは無かった。写真も車が来ないのを見計って大慌てで撮ったものだし・・・。

岩間沈下橋

国道脇に駐車場があって、そこが撮影スポットになっている。私の他にもカメラを向ける観光客が多かった。

橋の向こう側にはライダーの姿も。最初は川原キャンプでもしてたのかと思ったが、空荷だしズームアップしてみると全員オフ車だったので、林道を楽しむついでに立ち寄ったのかな?

ここも往復してみようかと思ったが、歩いて渡る人も多い事と、離合場所が無い上に車も結構通るので写真を撮るだけに留め、更に北上してR381に入る。

長生沈下橋

ここは以前の四国ツーリングでも来た事がある橋。

懐かしさから思わず立ち寄ってしまったが、相変わらずカヌーやキャンプを楽しむ人も多い。

帰ってきてから気が付いたのだが、R381沿いにある沈下橋はR441いと違って橋脚がコンクリート製になる。

作られた時期がそれほど違うわけでもないのに、どうして橋脚の作りが違うのか・・・理由はあるとは思うけど、現時点では分かっておりません。

中半家沈下橋

国道を走っていて目に入ったので立ち寄ってみた。

作られたのは昭和51年と、上写真の長生沈下橋より16年も新しいのだが、見ての通りすぐ横に立派な橋が架かったためか、通行止めになっておりました。

残念・・・と思ったが、後日調べていたら二輪車と歩行者は通行可なんだそうで(^_^;)

確かに石でできた車止めがあるだけで、バイク・自転車・歩行者は進入できるようにはなっていたんだけど・・・。てっきり車両通行止めだと思い込んでしまっていました。

第一 三島沈下橋

こちらも通りがかりに見つけたが、入り口を通り過ぎてしまっていたので一段高い所を通る国道から写真を撮ったのみ。

ちなみに写真左側は対岸ではなく、四万十川の中洲。中州の向こう側に一つ”第二 三島沈下橋”がある。

里川沈下橋

R381を更に東進し、浦越トンネル手前からR381旧道と思われる道を入っていくと、右手に里川沈下橋が見えてくる。

この沈下橋は作られたのが昭和29年と古く、遠目に見ても痛みが進行しているのがわかる。路面は上下にうねってしまっているし・・・。

その為か現在は車両通行止めになっており、両端には車止めがあって進入不可能。バイクも通行不可で、通行できるのは歩行者と自転車のみ。しかし今日見てきた沈下橋の中では、個人的には一番惹かれるものがある。長年の風雨に耐えてきた味わいと言うか・・・うまく言い表せないんだけど。

私の他にも沈下橋巡りをしていると思われるライダーが一人。まぁ四国の沈下橋巡りはツーリングやドライブの目的というか、テーマになっても不思議じゃないからね。



その後はヨサク国道を北上する。相変わらず狭い道だ・・・。

下津井のめがね橋

下津井のめがね橋は、元々森林鉄道が通っていた橋。以下現地看板より抜粋。
めがね橋は昭和16〜19年のダム建設での軌道の敷設替により電力側で建設したもので、もとの軌道は橋脚部を通っていた。橋の完成は昭和19年と思われる。高さは約20m、橋の幅は2mほどである。この橋は当時の橋としては営林署の最高の土木技術を駆使してつくり上げた自慢の橋であったので、その美しい景観は町民の人々の誇りであり、親しみを込めてめがね橋と呼ばれている。
ここで言うダムとは、多分下流にある津賀ダムの事なんだろう。

通称めがね橋とも言われるこの橋、ヨサク国道から対岸に渡っている下津井橋からも見えるのだが、やはりすぐそばへ行ってみたいし、渡れるのなら渡ってみたい。

で、実際橋まで上って行ってみたら遊歩道になっていた。元々は線路になっていた橋の上は石畳になっていた。ちなみにWebで調べてみたところ、この橋は昭和42年まで使われていたのだそうな。

他に観光客の姿は無く、橋の上から周囲の見晴らしを楽しんだ後に路盤跡の散策なぞしてみた。

レールと枕木は撤去されているが、かつての軌道跡らしいカーブを描きながら続いている。

この先にも行ってみたが、遠目に民家の敷地内に入っているように見えたのと、どこまで続くか分からないので結局引き返すしかなかった。

しかし後で調べて知ったのだが(こればっかりだな・・・)、実はこの遊歩道はウォーキングコースとしてダム近辺まで整備されており、途中にはトンネルや切り通しがいくつもあるんだそうで。

自転車での通行も問題無さそうなので、次に来る機会があったらサイクリングするのも良いかもしれない。いつの事になるか分からないが・・・。



めがね橋見学後は狭いヨサク国道をひたすら北上、R197に出る。

時間は少し早かったが、県道19号を南下して天満宮前キャンプ場まで戻る事にする。途中の案内看板で面白そうな場所が無いかチェックしていると、県道横の川にも沈下橋がある事を知り、更に南下したのだが・・・。

この県道19号、道幅の広い二車線の区間と離合もままならない狭い区間が交互にあるのだが、広い区間で前走車について良い調子で走っていた。

で、右側に何やら公園らしきものがあったのでそちらにチラッと視線を送って、再び前方に視線を戻したら・・・

目の前に積み重ねられた土嚢が\(◎o◎)/

「ぬぅをぉーーーーーーーーーーっ!!!」

両足を踏ん張り、左右のブレーキレバーを眼一杯握り締め、必死のフルブレーキング! しかし土嚢からこぼれた砂の浮いた路面で空しくABSが作動・・・

”ドンッ” という衝撃と共に前輪が土嚢に乗り上げ、スカイウェイブは土嚢の上で亀の子状態に。しかし何とか停止した。その状態で跨ったまま、大きく息を吐き出す。

そう、ちょうど道幅の広い区間が終わり自分の走っていた車線が絞られていて、車線を絞っている部分には土嚢が積み上げられていたのです・・・。

土嚢が半分崩れていてスムーズに(?)乗り上げたので辛うじて転倒は免れたものの、危なかった事には変わりが無い。一歩間違っていたらスカイウェイブでジャンプしていた所だった・・・。という訳で、

チラ見運転には気をつけましょう・・・。

その後で、亀の子状態から復旧させるのにエライ苦労してしまいました。自業自得だからしょうがないけど・・・。

とりあえず先程の公園まで押して移動させ、損傷具合をチェックする。

フロントホイールとフォークには異常なし、ラジエーターも損傷無し、位置的に一番ヤバそうなラジエーター最下部の水温センサー&コネクタも損傷無し、エキゾーストパイプも土嚢袋が熱で溶けてこびり付いている以外は凹み・穴開きは無し、アンダーカウルも特に損傷無し・・・。とりあえず走行に問題無さそうだ。

ようやく安堵し、心を落ち着ける為に一服。



久万秋橋

沈下橋は四万十川だけではなく、支流にもある。久万秋橋もその一つ。

もっとも前述の佐田沈下橋等とは違い観光地化されていない橋なので、見に来る人もほとんどいない。地元の人の生活の一部といった感じ。

実際、私以外にいたのは地元の家族連れらしき人だけで、川に降りて水遊びを楽しんでいた。

何の変哲も無い光景なんだけど、こういう感じって何か良いんだよねぇ。

マンガ神社

ここは、以前から気になっていた場所。天満宮前キャンプ場からそれほど離れていないので、今回は是非訪れてみようと思っていた。

県道からの入り口に看板があったので入ってみるが、えらく狭い路地になっている。

「この道でいいのかな・・・」と不安になりつつもゆっくり走らせる。何しろマジで民家の軒先といった場所を通る上に、県道からの入り口以外に案内看板が無いのだ。

ますます道は狭くなって山中に入っていく。道を間違えたかとも思ったが、分岐は無いし間違えようが無い。しかし道は狭くなる一方だ。とても車で入る気にならない道。

やがて右側にそれらしき建物が・・・。

「あ・・・あれか? 一応鳥居もあるようだし・・・」

とりあえずスカイウェイブを止めて徒歩で向かう。

というわけで、これがマンガ神社。

Web情報によると、何でも多くの漫画家を輩出している高知県で行われる「まんが甲子園」に優勝祈願ができるように、旧大野見村(当時)の村長らが中心となって作った神社なのだそうな・・・。

作りがしょぼい質素なのは良いとしても、まんが甲子園参加者が参拝に来るとの事なんだし、こんな山の中ではなくて県道沿いとか、せめて車が駐車・転回できる場所に作っても良かったんじゃないか・・・というのが正直な感想(^_^;)

鳥居の周囲には変わった形をした石が置かれていたり、屋根や文字が妙にカラフルだったり、マンガ神社らしい(?)演出がされているようだ。ちなみに御神体は、こんな事を書いては失礼かもしれないが、何か変な形をした木のようなものだった・・・。

ちなみにこのマンガ神社は光願寺というお寺の跡地らしいが、詳しい事は帰ってきてから調べてみたがよく分からなかった。



早めにキャンプ場に戻り、とりあえず心身を休める。腰の具合が今ひとつなのと、前述のように危ない場面もあったし・・・。

買出しは近くのスーパーではなく、給油ついでに久礼の街まで足を伸ばす。

帰ってきてからは、昨年一緒に夕食をとったレイド氏とお喋りして過ごす。実はレイド氏は昨日から泊まっていてテントも近くだったのだが、お互い昨年と違うテントだったので気が付かなかったのだ(^_^;)

夕食は早めに済ませ、日記を簡単に書いてUPし、早々に就寝。あ゛〜、腰が痛い・・・。

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