キャンプ旅に行こう 2010年・北海道の旅日記です。
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2010夏 北海道の旅

8月20日

結局、フェリーは1時間半ほどの遅れで小樽港に入港。

行きに利用したフェリー「ゆうかり」では、バイクは乗用車より早く乗船できる代わりに下船は乗用車の後になる。

この待ってる時間が結構長いのだが、皆荷物を括りつけた後は談笑しながら下船を待っている。

下船後は朝里ICより高速に入り、札樽自動車道→道央道→道東道と走り継いで、夕張ICにて降りR274で日高へ向かう。途中にいくつかあるトンネルでしっかり旧道の有無をチェックしてしまうあたり、旧道趣味も重症化(?)しているようだ(笑)

日高町のセイコーマートにて休憩。お盆期間中はバイクや車で賑わったであろうこの場所も、すっかり落ち着きを取り戻している。バイクは自分のCL一台だけだった。

地図を見ながらルート検討&一服後、隣のガソリンスタンドで給油、R237を北上し占冠村から道道136へ。

泣く木

道道136号線の脇に立つこの木は結構有名と思っていたのだが、検索すると出てくるのは栗山町のものばかり。

思いっきり道端に立っているので、飛ばしていると看板に気づかずに通りすぎてしまいやすい。

ここの泣く木の由来は以下の通り(現地案内看板より)。

不思議な泣く木

道路工事のさまたげになるため何度かこの楡(にれ)の木を伐り倒そうとしましたが、のこぎりの刃をあてるとうめくような鳴き声が聞こえてくるため、どうにも果たせませんでした。
猟場のことで争いを続けていた日高と十勝のアイヌ、日高アイヌの若者と十勝アイヌの酋長の娘は、許されぬ愛に手を取り合いカムイの住むトマムに安息を求めましたが、若者はとらわれの身となりました。
やがて隙をついて逃げ出した若者が待ち合わせの場所で見たものは、この楡の木の傍らで力尽きて倒れている娘の姿でした。
今では、愛しい若者を慕う娘の魂が、この楡の木にやどっていると伝えられています。

占冠村観光協会

栗山町の泣く木は切り倒されてしまい現在のものは二代目だそうだが、こちらの泣く木は切り倒されること無く生き残った。私はよく見えなかったが、根元付近には鋸の刃を当てた跡もあるのだとか。

この木には案内看板の通りの伝説があるのだが、Webで調べた範囲では切り倒せなかった後から言われ始めた伝説という話もあり、その辺りがちょっと萎えてしまうポイントでもある(^_^;



道道1117経由でR38に出て、狩勝峠に登っていく。その狩勝峠の落合側(富良野側と言ったほうが分かりやすいか)には、旧狩勝線の狩勝信号場跡がある。

Googleマップの航空写真で中央に直線状に何か有るのが分かると思うけど、これが狩勝信号場スイッチバック跡である。写真では見えないが、すぐ脇に狩勝隧道の坑口もある。

ここへ行くには現国道の北側をほぼ並行していた旧国道(左のGoogleマップ上で白い線で描かれている道)を通らねばならないのだが、東側入口は結局発見できず、西側入口は見つけたのだが薮がひどい上に路面がかなりのマディ状態だったので残念ながら断念。

峠を超えて新内隧道・狩勝隧道を目指した。

国道38号線旧道

新内隧道・狩勝隧道へ行く林道(路盤跡)を探して付近をウロウロしていたら、こんな看板を見つけた。

今自分がいるこの場所が、R38の旧道だと知った時は正直言って驚いた。R38狩勝峠十勝側旧道は現道の脇に線形改良の痕跡程度にしか残っていないと思い込んでいた為、探訪対象には入っていなかったのだ。

ところどころ文字が消えてしまっているこの看板によると、狩勝峠には明治40年に鉄道が開通し、昭和6年に新内〜落合間道道が開削、翌7年に新得〜新内間の既設村道が改修されて狩勝峠超えの自動車道(後の旧R38)が開通した。その時に地元の青年団が自前で苗木を持ち寄って、昭和7年〜8年にかけて約400本の桜を新内駅から峠方向に向けて植えたとの事。

桜は標高の関係でかなりの遅咲きだったらしい。どのくらいの遅咲きだったのかは、数字の部分が消えてしまっていたので読み取り不可だった。

道幅は普通車の離合ができる程度でしか無いが、当時はこれでも規格が高い方だったのだろう。もちろん舗装などされていなかったであろうから、雨や雪の日は峠を超えるだけでも大仕事だったのではないだろうか。

桜も部分的に健在で、当時の面影を残している。全部残っている頃は、満開の季節はさぞかし壮観な眺めだったのだろう。

とりあえず旧道を辿ってみようとCLを走らせるが、突然の遭遇だったがゆえに予備知識が全く無く、看板に描かれている旧道も思いっきりアバウトなのであまり参考にならず、途中でよく分からなくなり断念。

後日ネットで調べていたら、この近辺の旧版地形図を掲載しているサイトを発見。旧道の経路がかなり分かってきたので、また後日のお楽しみが増えたといったところ。

また、狩勝峠越えの道自体は鉄道開通前にもあったらしい。もっともそれは車道ではなく、荷車を通せる程度の道だったようだが…。

ついでに、1994年度版北海道二輪車ツーリングマップ(現在のツーリングマップルの前身)の狩勝峠〜新得町の地図は、こうなっている。

上の地図では右上にある「新内」という文字の右上あたり、R38から左に分岐している道が旧道になる。ただし現在この分岐は無くなっており、サホロCC(カントリークラブ)入り口は、少し北側に移動している。

そして新得駅の少し北から「実験線」という線路が伸びているが、これが旧狩勝線。北側の終端が旧新内駅跡になる。以前にも書いたが、ここでは脱線事故の原因究明の為の各種実験や橋梁のたわみ等の各種実験が行われた。

YouTube:狩勝実験線(脱線試験)の記録

実験終了後は線路が撤去され、現在は歩行者・自転車・乗馬用の遊歩道として整備されている。それについてはまた後述。

新内隧道&狩勝隧道

旧狩勝線の新内隧道と狩勝隧道には前々から行きたかったのであるが、現在は林道となっている路盤跡への入り口がよく分からなかったので、後回しになっていた。

入り口はR38沿いにある事は分かっていたので、付近をウロウロしていたら駐車帯(チェーン脱着所?)の脇から入る林道を見つけ、ここではないかと入っていったら右写真の看板を発見。

ちなみにこの林道、道幅もあって看板から先は見事な直線ダート。最初はR38旧道かと思ったが、あとで調べてみたら違うようだ。

路盤跡への入り口は、下のGoogleマップ航空写真で中央左上のR38から南側に分岐している白っぽい道がそれ。大きめのRでほぼ180度向きを変えているが、直線に入るところで左に分岐している道があり、上写真の看板はそこに立っている。矢印に従って坂を下れば路盤跡に出る。

なお航空写真の右側には、?マークを上下に繋ぎあわせたような形で旧狩勝線の路盤跡も写っているのが分かると思う。


路盤跡は前述通り現在は林道となっているのだが、至って普通の林道で走りやすい。元々線路が敷かれていただけあり、カーブは緩やかだし勾配も線路としては急勾配でも道路としては緩やかな部類になる。

ここまで来れば、轍を走るようにすればロードバイクでも走れるだろう。むしろ、国道から分岐して路盤跡までの区間の方が砂利が敷かれている分走りにくい。

少し走ると、前方に新内隧道が現れる。

新内隧道は延長124mで、坑口の周囲はアーチ状に石組みが巻かれ、その周囲はレンガ張りで坑口両側には石柱まで立っている。黒く煤けているのは、SLの出す煙によるものなのだろう。

デザイン的にも堂々としたもので幹線の隧道らしい貫禄をも漂わせているが、これは単にデザイン面だけではなく、坑口の補強という意味もあるらしい。

大きめの写真(640x480、144.8KB、別ウインドウで開きます)

現在は内部崩落の為閉塞してしまっているが、坑口は両側とも健在。2003年には土木学会選奨土木遺産に認定されている。

新内隧道は通行不能なので、迂回する形で林道が続いている。

路盤跡に復帰してしばらく進むと、山側にコンクリートの擁壁が現れる。まだしっかりとしており路盤跡の幅も結構あり、ここがかつて幹線として使われていた事を物語っている。

路盤跡の脇には、こんな鉄道遺構も残っている。

この電柱は各種通信線を通していたもので、
通称ハエタタキ。言い得て妙である。

やがて林道(路盤跡)は終点を迎える。その終点にあるのが狩勝隧道十勝側坑口。

硬い岩盤と湧水で工事は困難を極めたと言われ、遂には人柱まで立てて進捗を図ったとも語り継がれている(新内隧道にある案内看板より)。

新内隧道と違って、こちらの坑口はコンクリート製でのっぺりとしているが、それには理由がある。狩勝隧道は明治38年竣工なのだが、現在の坑口は竣工当時のものではないからなのである。新内隧道と違ってこちらは土木学会選奨土木遺産に認定されていないのは、その辺りが関係しているのだろうか。

竣工当時は新内隧道と同じ幹線トンネルらしい意匠だったのだが、後年になって延長されている。そして、列車通過後に排煙幕を降ろす為の作業員詰所が坑口真上にあり、坑口左脇にも小屋があった。現在は両方とも残っていないが、排煙幕はボロボロの状態になりながらも一部が残っている。

10/02 修正&追記

旧狩勝線を楽しむ会の方によると、現在隧道坑口にあるシートは廃線後に設置された侵入防止用の幕だそうです。教えていただき、誠にありがとうございます。

排煙幕とは、列車最後尾がトンネル内に入るのと同時に坑口を塞ぐように下ろす幕。坑口を塞ぐ事で列車の進行に伴い列車後部が負圧になり、SLの吐き出す煙を列車の後方に引き寄せるようにする為のもの。乗務員、特にSLの機関士が煙に巻かれないようにするために設置された。

狩勝隧道は隧道自体が新内側から落合側に向けて上り勾配だった為、煙が篭もりやすかったことからも排煙幕が使われていた。それでも当時の機関士にとって狩勝峠越えは急勾配と急カーブが続く上に狩勝隧道では煙に悩まされる過酷な区間で、時には峠まで登りきれずに止まってしまうこともあったという。

なお、当時の貴重な写真が 旧狩勝線を楽しむ会 のHPで掲載されている。竣工当時の新内隧道・狩勝隧道の写真の他に、トップページでは上写真とほぼ同じアングルで昭和37年に撮影された、狩勝隧道に進入していく混合列車(SL重連+貨物列車+最後尾で気動車が後押し)の動画が公開されている。

狩勝峠越えの区間が新線に移行した今、機関士が苦労して越えていた旧線は静寂を取り戻している。柄にもなく遠い昔に思いを馳せて…と言いたいところであるが、森の中だけあって虫が多く、追い払うのに忙しくて物思いにふけるどころではなかった(汗)

2009年には旧狩勝線が経済産業省の近代化産業遺産に認定された事から、今後も残り続けるのだろう。

狩勝隧道から戻る途中、新内隧道の峠側(落合側)の坑口にも立ち寄ってみた。こちら側もデザインは十勝側と同じで貫禄のあるもの。

坑内を覗き込んでみると、天井から落ちてきたとみられる土砂が堆積して小山になっているのが見える。明治時代に竣工した古い隧道だし、さすがに劣化は免れないようだ。

せっかく産業遺産になっているのだから、何とか延命処置が取れないものだろうか。色々事情はあるだろうけど…。

余談だけど、上写真の坑口の付近だけは道幅の大部分がドロドロのマディ路面。行きは乾いた部分を通ったけど、帰りは坑口に目を奪われて水溜り脇の泥に突っ込んでしまった…。

下手に止まるとスタックするのは眼に見えていたので、そのままアクセルを開けて強引に突破!

その結果、タイヤは写真の通りドロドロに…。

軽量なCLだったから何とか突破できたけど、もしこれが重量級ロードバイクだったらどうなっていた事やら…(大汗)



狩勝実験線は、その役目を終えた後は線路を撤去されて遊歩道になった。現在は新内駅跡までだが、将来的には狩勝隧道を経て落合駅まで廃線跡を散策できるようにする構想がある(旧狩勝線を楽しむ会HPより)。現在は予算の関係で凍結状態のようだが。

つまり今は車やバイクで二つの旧隧道まで行く事ができるが、将来的には車両進入禁止になるという事。旧士幌線のタウシュベツ橋梁もそうだったが、バイクで行く事ができた自分は運が良かったと言って良いのか悪いのか…。

何はともあれ、旧狩勝線現役当時の遺構は遊歩道の各所に残されている。

これはR38の長い直線を新得方向に下りきる少し手前にある小笹川橋梁。

橋梁と言っても短いものだけど、美しいレンガアーチ橋となっており、コストを掛けて作られているのがわかる。パッと見はまるで坑口が煉瓦積みになっているトンネルのようだ。

橋梁の上はしっかりと整備された遊歩道。轍があるけど、車両進入禁止ですので念のため。

時間があったら自転車で新内駅までのんびり走ってみるのも良いな、と思ってしまった。旧新内駅跡もインフォメーションセンターとして客車・機関車共々きっちり整備されて、軌道自転車で遊ぶことができるようになっているし。

ただ、短い夏休みを使って慌しく旅をせざるを得ない身なので、実現するのはいつの事になるやら…。

旧ふるさと銀河線・勇足駅跡

ふるさと銀河線は北海道ちほく高原鉄道が運営していた路線で、元々は旧国鉄池北線。1985年に特定地方交通線に指定され廃止対象となったが、1989年に第三セクター化して営業を始めた。しかし沿線人口の減少に伴う乗客の減少で、2006年4月21日に廃止となった。

勇足駅は、現在は地域のコミュニティセンターとして使用され、すぐ横にはパターゴルフ場もある。

廃止からそれほど時間がたっていない事と、現在も別目的で使用されメンテナンスされている為か、特に傷んでいるわけでもなく、綺麗なものである。

しかし、裏側(ホーム側)に回ってみると…

路盤跡はホームと同じ高さまで埋め立てられ、旧駅舎に掲げられている「勇足駅」という文字が無ければ、ここが駅跡だと分かる人は少ないだろう。

廃止するかどうかの協議の時、他に公共交通機関の無い陸別町が猛反対したそうであるが、結局多数決で廃止が決定した。

地方においては公共交通機関(特に鉄道と路線バス)が存続の危機に瀕しているのは今や珍しくなくなっている。かくいう私の地元もそうなのだが…。

廃線跡を探訪するのは好きであるが、その一方でこういった廃線が発生する原因とかどうしたら良いのかをつらつらと考えたり…。まぁ自分ひとりで考えたってどうにもならない事は分かってはいるのだが。

国道274(392)号 釧勝峠

今回の北海道ツーリングには1994年度版北海道二輪車ツーリングマップを持参したのだが、行きのフェリーの中で今年度版のツーリングマップルと見比べていたら、釧勝峠(せんしょうとうげ)の部分で目が釘付けになった。

2010年度版ツーリングマップル

1994年度版二輪車ツーリングマップ

峠部分の道路線形が露骨に違うんだけど(^_^;

しかも、新しい地図の方が線形としてはかなり悪い。トンネルにしても、まず長さが違う。更に縮尺を考えると1994年度版に描かれたトンネルの方が遥かに長い。(2010年度版に書き加えてあるのは、私がフェリー内で書いた想定ラインです。ちなみに1994年度版は縮尺1/280,000で、2010年度版は1/200,000)

もし改良で線形が変わったのなら、釧勝峠には現道のものより長い旧隧道が眠っているはず。これは行かねばなるまいっ!

…で、来てみた。

地図上では左(西)方向から来たのだが、左写真は今年度版で言うところの右に90度程曲がるカーブの入り口部分。予想ではこの辺りから分岐しているはずなのだが・・・。

旧道の痕跡見当たらず(-_-;

右カーブを過ぎたところには眼下に平場があり、旧道っぽいのだが…。

平場は現道の下に飲み込まれており、消えてしまう。それに、そもそも想定ルートから外れている。

しばらく周辺を行ったり来たりして見て回ったが、旧隧道はおろか旧道の痕跡らしきものすら発見できず。

とりあえずトンネルを抜けて更に探していたら、「いかにも」といった感じで分岐する林道が。

写真はトンネル方向に向けて撮影したもの。後日調べてみたら、これがトンネルが出来る前の旧道らしい。そう言えば、トンネルの向こう側にも林道入口があった…。

っちゅう事は、1994年度版に描かれている線形は思いっきり間違っているという事になるのだが…。実際Webで検索しまくっても釧勝峠の旧隧道なんて全く引っかからない。

結局、今ひとつすっきりしないまま峠を後にする事になった。旧隧道が本当にあったのか、それとも1994年度版の単なるミスプリントなのか、現段階では全く不明…。



宿泊は釧路駅前のいつも利用するホテル。レンタルPCがあるので釧勝峠の件を調べておきたかったのと、明日以降の予定を検討するのも含めてホテル泊に決めた。まぁ暑かったので涼みたいというのも大きな理由の一つだったりするのだが(^_^;

夕食はこれまたいつも行く居酒屋。とりあえず蛸ザンギを注文し、生ビールをグビグビ。

ちなみに写真のジョッキはすでに二本目…。

追加でホッケも注文。

北海道の飲み屋でホッケを頼むと内地より一回り以上デカイ物が出てくるので、何人かで行った場合人数分頼むとエラい事になるので要注意。

すっかり良い気分になり、ホテルに戻って爆睡。

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