2006年夏・初めての北海道車旅の旅日記です。 | |
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2006年 北海道の旅8月16日「旅の途中」では同宿の人達とお喋りしたりしながら、結局10時頃までまったりしておりました。同宿者やヘルパーさんの見送りを受けて出発。 富良野から道道135号で国道452号へ。昨年訪れた鹿島地区には、何やら大きな建物が建設され始めていた。何の建物かは分からないが、大きな体育館のような感じだった。 シューパロ湖にかかる鉄橋シューパロ湖畔でちょいと休憩。ダム湖には古い鉄橋の姿が見える。これは夕張岳森林鉄道で使われていたもの。 三弦トラス橋という断面が三角形をした珍しい構造の鉄道橋。ここの他にはスイスに一ヶ所あるだけの珍しい橋で、鉄道橋としては唯一なのだそう。 数が少ないのは、建設資材が節約できる代わりに断面が三角形なので大きな車両を通す事ができない、というのが理由。 調べた所によると、1962年に大夕張ダム完成時に水没する森林鉄道の旧線の付け替えで作られた橋。しかし、1966年に森林鉄道が廃止されてしまい、結局4年間しか使われなかったという。 しかし、現在建設中の夕張シューパロダムが予定では平成25年に完成すると水没してしまう(付近の国道452号や大夕張ダム自体も水没する)。前述したが三弦トラス橋という珍しい構造の鉄道橋なので、夕張市が移転計画を立てたらしい。 ・・・が、夕張市は財政再建団体になってしまったし、その後どうなったのかは分からない。貴重な橋であるし、個人的には移設してでも保存して欲しい所なんだけど・・・。 その後、国道274号→道道74号→道道131号→国道237号と走り、昨年訪れた振内町鉄道記念館へ。 振内町 鉄道記念館この鉄道記念館は、国鉄富内線(昭和61年廃止)の振内駅跡地に建てられている資料館。当時のホームと構内のレールがほぼそのまま、そして客車とSL(D51型)が保存されており、客車はライダーハウスとして使われている。昨年は閉館中で中に入る事ができなかったが、今回は開館中で中を見学する事ができた。 建物自体がそれほど大きくないので、展示物もそれほど多くなかった。展示物は主に保線関係のものが多く、あとは写真パネルと富内線の歴史の説明と至ってシンプル。 富内線は人口流出と主力産業の変化によって廃止に追い込まれてしまったが、ほぼ平行して国道273号線も通っており、モータリゼーションの発達という面も廃止に追い込まれた理由の一つだろう。 鉄道は環境面においては自動車より有利な面を持っている。しかし北海道は大消費地から離れている上に産業も限られ、観光にしても夏は観光客が多いけど冬はスキーと流氷見物以外の観光の目玉が少ない。しかも人口密度が内地より希薄だ。 道内のローカル線が次々に廃止に追い込まれてしまうのは、やむを得なかったのだろう。 アイヌ文化博物館振内町から国道237号を南下、二風谷にあるアイヌ文化博物館へ。ここは名前の通りアイヌ民族の文化資料が展示されている所で、伝統工芸(木彫りと刺繍)の体験もできる。博物館の外には復元住居もある。アイヌとは「人間」を意味する言葉。アイヌの人々は自分達に役に立つもの(動植物や船や生活用品)や、自分達の力が及ばないものを神々として崇めて生活していた。そして大きな特徴は、文字を持たなかった事。物語・伝説や体験談や教訓などは全て口承によって伝えられてきた。その事もあってか、アイヌの人々の記憶力はとても良かったし博識でもあったという。 博物館に入り、一通り見学する。展示されている衣装はなかなか綺麗な紋様だ。アイヌの人々の美的センスはなかなかのものだと感心してしまう。 右写真は桂の木をくり抜いて作られた丸木舟。写真を見ると分かるけど、昔のものではなく最近作られたであろうもの。何でも日本一の大きさなのだそう。 一通り見学後、国道の向かいを少し入った所にある「萱野茂・二風谷アイヌ資料館」へ。 駐車場にある「自宅からここまで10万円、入館料400円」という観光客向け看板に苦笑いしつつ、とりあえず館内に入る。 館内は萱野氏自身が集めた個人コレクションが展示されている。アイヌ関連だけではなく、世界の少数民族の資料も展示されており、それほど広くはない館内は展示物で一杯の状態だ。 アイヌ文化に関しては素人の私であるが、かつてのアイヌの人々の文化に少しだけ触れて、自然の恵みに感謝しながら生きてきたアイヌの人々に現代人が忘れてしまったものを感じる事ができたような気がします。 需要があるからと言って、魚や蟹などを採りまくっている現代を昔のアイヌの人々が見たら、果たしてどう思うでしょうか・・・。 洞爺湖火口群日高富川ICから虻川洞爺ICまでは、高速を使って一気に移動。本当は下道使いたかったんだけど、出発が遅かった分時間が押していて、不本意ながら高速を使用。今回行ったのは、2000年(平成12年)の有珠山噴火でできた火口群。地図を見ると、国道230号線は洞爺湖近くでぷっつりと途切れています。これは、有珠山噴火により分断されてしまった為で、いかに市街地に近い所で噴火したのかが分かります。 火口群に行く前に、展望駐車場があったのでちょいと立ち寄る。 ここからは火口こそ見えないものの、草木は枯れ果てて今でも地面から激しく蒸気が立ち昇っている様子を見ることが出来る。 火山の恐ろしさを目の当たりにし、体で感じることができる所だ。 噴火に伴う地殻変動で最大70mも地面が隆起し、国道230号線と脇の町道が分断。現在は国道と町道の交差点は池になってしまっている(左写真:写真中央が交差点で、右に町道が分岐)。 手前から池の中に消えて行ってるのは旧国道230号線で、池の向こう側にも続いているが現在は立ち入り禁止区域。この区間は手前からずっと下り勾配が続いていたのだが、地面の隆起の為に池の向こうは上り坂になってしまった。池の中に電柱や一時停止の道路標識も立っている。 火口を見に行こうかと思って歩き始めるが、残念ながらゲートが午後6時に閉められてしまうと係員の人に言われ、今回は見にいけませんでした。何しろこの時点で午後5時45分、火口の展望台まで15分では往復不可能なので、後ろ髪を引かれる思いで引き返すしかありませんでした。 なお、旧町道はそのまま保存されて路肩が展望台への遊歩道になっている。断層によって階段状になってしまい、遊歩道と反対側の路肩からは今でも湯気が立ち昇っている。 自然の破壊力の凄まじさをありありと見せ付けている。火山の近くに住むという事は大きなリスクも併せ持っているのだが、それと引き換えに豊富な温泉の恩恵も受ける事ができる。 温泉と火山には限らないけど、自然からの恩恵はただ享受するだけという事はあり得ないんだな、と改めて感じたのでした。 同時に、こうした自然現象による破壊の爪跡自体を観光地にしてしまう、人間のバイタリティーの強さも感じたのでした。 その後、高速を使って室蘭まで移動。白鳥大橋を渡ってフェリーターミナルへ。 8月17日船内で割り当てられたのは二等寝台室。しかも壁際で隣に寝台が無い独立した感じの場所だった。窓から外が見られないとは言え、ゆっくり睡眠を取る事ができた。フェリーは定刻に直江津港到着。フェリーを降り、すぐに高速に乗って自宅を目指す。途中で土砂降りの雨に見舞われたが、午後10時前に自宅に無事到着。 期間は短かったとは言え、個人的には結構充実していたような気がする北海道の旅でした。 |
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