キャンプ旅に行こう 2007年GW・四国ツーリングの旅日記です。
ホーム > 旅日記 > 2007年GW 四国の旅

2007年GW 四国の旅

5月4日

今日はどこに行こうかTMを見ながら考えた結果、久しぶりに足摺岬、そして紫電改展示室に行くことに決めた。距離的にちょっとキツそうな感じもあったが、「まぁ何とかなるべ」と思っていたところへ、何やら見覚えのある人がこちらに向かって歩いてきた。

思わぬ人との再会

その人は、「小林麦酒」さん。以前からのお友達ではあるのだが・・・お互い住んでいる場所が全然違うのに、どちらからも遠く離れた場所で再開するとは、いやはや偶然とは凄いものですな(^_^;)

麦酒さん&ふみさん(奥さんです)も四国ツーリング中。たまたま昨夜ここ(天満宮前キャンプ場)に来たんだけど、見覚えのある人に似た人(つまり私)がいたので声をかけてみたとの事。

ちなみにお二人は他のライダー数名と共に、駐車場にテントを張っておられました。まぁ今回はファミリーが多かったしねぇ。しかしそこにある車両は、麦酒さんのR1150GSと明らかにレンタカーであるマツダ・アクセラ。

何でもふみさんの愛車・ゼファー750がトラブルを起こした為に急遽新居浜のバイクショップに預け、レンタカーを借りてバイク&車の変則ツーリングになってしまったらしい。

う〜む、ここにもトラブルツーリング仲間が(^_^;)

程なく旦那(麦酒さん)は「ちょっと散歩に行ってきま〜す」と、GSでお出かけ。残された奥さんは・・・テントの撤収作業を開始。お〜い旦那さん、早く帰ってきて手伝いましょうよ(^_^;)

足摺岬

足摺岬は、四国最南端の断崖絶壁の岬。岬までは3本の道があるが、おすすめは県道348号線「椿の道」。峠超えの道になるんだけど、適度なワインディングで走って楽しい道。ただし、観光シーズンは交通量が多いので注意が必要。

観光シーズン真っ只中と言うこともあってか、車は岬手前の駐車場には進入禁止となっていた。ただし二輪はOKという事で、係員の指示に従い徐行して先に進む。

岬には展望台があるのだが、入り口にはジョン万次郎の巨大な銅像がある。

ジョン万次郎は1841年に出漁中に遭難。アメリカの捕鯨船に救助され、船長の地元で学校教育を受け、1851年に帰国。国際知識を買われて幕府直参になり、遣米使節の一員となるなど開国に向けて大きな役割を果たし、日米交流の礎を築いた人物。

万次郎の生家が足摺岬に近い小さな漁村だった事もあって、土佐清水市はマサチューセッツ州フェアヘーブン、ニューベッドフォードと姉妹都市提携を結んで交流があるとの事(現地案内板より)。

さすがに観光客が多く、ゆっくりとできるような雰囲気ではない。選択を誤ったかなぁ・・・と思いつつ展望台へ。

展望台もやっぱり観光客まみれ(^_^;) かく言う私もその一人のわけなんだけど、人ごみが苦手なのでどうにも長居する気分になれない。とりあえず写真を一発・・・と思っても、展望台の端っこには景色を見ようとする観光客の壁ができている状態だし、写真を撮るのもままならない。

待つ事数分。ようやく人の壁に切れ目ができたので速攻で入り込み、シャッターを降ろす。晴れていれば綺麗な景色なんだけど、残念ながらの薄曇。

その後、結局人ごみにうんざりして早々に立ち去る事になったのでした。

紫電改展示室

足摺岬からはR321→R56をひたすら北上。混雑する愛南町市街地から、看板に従って紫電改展示室へ。ここには、海底から引き上げられた旧日本海軍最後の戦闘機・紫電改の実物が展示されている。

※紫電改

太平洋戦争末期に作られた、日本海軍最後の戦闘機。ゼロ戦を上回る性能を持つ高性能機で米軍機を上回る強力な機銃をもつ戦闘機であったが、部品の不足や生産効率の悪化に伴い生産機数はわずか400機余で、活躍したのもわずか半年間だった。

しかし優秀な機体性能と、B29にも立ち向かっていくパイロット達の優秀な技量によって米軍パイロット達を震え上がらせ、その名を轟かせる事になった。

紫電改展示室に保存されているのは、昭和53年に南宇和郡城辺町(現・愛南市)の海底41mで発見されたもので、昭和54年7月14日にほぼ原形を留めたまま引き揚げられた。その後、防錆処理と補修が行われ、現在の紫電改展示室に永久保存されている。

この機体は、昭和20年7月24日の豊後水道上空の空戦での未帰還機6機のうちの1機である事が確認されたが、誰が乗っていた機体なのかは現在も不明である。

紫電改(N1K2-J)スペック
・全長 9.34m
・全幅 11.97m
・全高 3.96m
・エンジン 星型空冷18気筒 1990馬力(誉二一型)
・最大速度 594km/h(高度5600m時) ※急降下でのテストでは、796km/h出たとの事
・武装 20mm機銃×4及び250kg爆弾2個

展示室の中央には引き上げられた紫電改が鎮座し、周囲には関連資料や当時の343航空隊・松山基地の様子が模型で再現されている。

最初に目が行くのは、やはり紫電改本体だ。

プロペラは着水時の衝撃で先端が後方に曲がってしまっており、機体のあちこちが腐食で穴が開いてしまっている。

太平洋戦争末期、パイロット達はこの機体に乗って、強敵F6FヘルキャットやB29爆撃機に立ち向かっていった。

いくらゼロ戦より機体性能・防弾性能が上げられていたとは言え、素人工員の大量動員に伴う生産効率の悪化と部品不足による生産の遅れ、そして燃料や潤滑油の絶対量と品質の不足もあり、圧倒的物量で向かってくる米軍に立ち向かうのは至難の業だったろう。もちろん、生産工場自体も爆撃を受けて大きな被害を受けてしまったのは言うまでも無い。

ここで購入した書籍も合わせて読んでみると、日本軍がいかに悲惨な状況で戦っていたのかが分かる。周囲に展示されている資料も見て回るが、心臓を締め付けられる思いだった。

この機体は、上記にもあるように豊後水道上空での空戦での未帰還機のうちの一機。帰ってこなかったパイロット6名のうち誰の機体だったのかは分かっていないが、機体の前には6名のパイロットの遺影が掲げられ、お神酒も供えられている。

思わず冥福を祈らずにはいられなかった・・・。

ちなみに、紫電改展示室の近くには「宇和海展望タワー」なるものがある。

左写真がそうなんだけど、タワー中ほどにあるのが展望室なのだが、この部分が回転しながら上下するようになっている。

何だかテーマパークや遊園地にあるアトラクションみたいなんだし行ってみたかったのも事実なんだけど、今回は時間的都合で行きませんでした。まぁ小雨がぱらつく生憎の天気だったので、景色は今ひとつだったかも。次の機会のお楽しみと言う事で。

その後は天満宮前キャンプ場まで、R56をひたすら走るだけ。遅い車につかまったりしてペースが上がらず、キャンプ場にたどり着いた頃にはすっかり日が落ちて薄暗くなっていました。

2泊目の夜はライダーも少なく、空きスペースが目立つサイトで静かに過ごしたのでした。

[ 5/2 | 5/3 | 5/4 | 5/5 | 5/6 ]

リンク

ホーム
旅日記TOP

コンテンツ内リンク

5/2
5/3
・5/4
5/5
5/6





▲ページ先頭に戻る