2009年・四国の旅日記です。 | |
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2009GW 四国の旅5月2日天気は今日も快晴。今日の予定を考えつつ、テントの撤収を開始する。ドームテントって、張る時は良いんだけど撤収は意外と面倒。ポールを外すとインナーは長方形になるから別に良いんだけど、フライシートは変形扇形(?)だし朝露で濡れているので畳みにくい。 以前使っていたモンベルのムーンライト3型(旧型)はフライシートもほぼ長方形で、何も考えずに半分づつ畳んでいけば収納袋に入ったので、撤収が非常に楽だった。 キャンプ泊で一番面倒なのは、実は設営時じゃなくて撤収時。次に買うなら、やっぱりムーンライト3型かな・・・などと考えつつ撤収完了。 三好市の廃橋(?)跡R192を西に向かい、そのままR32に入ってすぐの吉野川両岸に、橋台と橋脚跡と思われる構造物がある。Yahoo!地図ではここになるが、航空写真にして拡大すると両岸の橋台と橋脚の跡が確認できる。 実はこれ、何年も前から気になっていた存在。おそらく廃橋なんだろうな・・・と思っていたのだが、以前はネット上にも情報が全く無く橋の名前すら分からなかった。 帰宅してから改めて検索しまくった結果、ようやく情報にたどり着いた。 そのサイトによると、この橋の名前は「池田橋」。昭和7年(1932年)2月に着工という事なので、今年(2009年)で築77年にもなる。しかもこの橋は廃橋ではなく、未成橋。つまり、完成していない橋なのである。 当時の池田町の町長らが計画して昭和7年に着工したものの、翌8年に大雨による増水で北側の橋脚が倒壊。その後南側の橋脚も倒壊して基礎部分だけが残った。昭和10年には町長も亡くなって工事続行が不可能となり、計画は頓挫。そしてそのまま放置される事になったらしい・・・。 もっとも今年で築77年なので、もし完成していたとしても現在も現役でいられたかどうかは怪しいが。とにかく想像よりずっと古いものである事を知り、驚いたのも事実。 地元ならともかく、遠く離れた場所のこういった遺構の情報に関しては、ネットからの孫引き情報に頼らざるを得ないのが辛い所なんだけど、まじめに運営していると思われる廃道系サイトの情報なので、信用しても良さそう。 とにかく正体はほぼ分かったので、この遺構に関してはスッキリしました。 黒沢湿原黒沢湿原は三好市の山中にある湿原。TMでの位置はP71-E-5。標高550m・南北2km・東西100〜300mの細長い湿原で、サギソウ・キセルアザミ等の他に食虫植物や珍しい植物の自生地。昭和40年に徳島県の天然記念植物群落に指定されている。(現地案内看板より) 5月から11月にかけて様々な湿原植物が楽しめるとの事なのだが、私が行った時は目を楽しませてくれるような花は無く、パッと見た第一印象は「ちょっと殺風景な感じだなぁ・・・」というのが本音。 実はここに来るまでは、北海道の松山湿原のような場所を想像していた。松山湿原は8月とは言え天気が良くなくて寒いくらいだったが、こちらは5月始めとは言え暑いくらいだし、気持ち良く散策できるかな・・・とも考えていた。 確かに沼地もあるのだが、湿原全体に比べると水面の面積が少ない感じで、湿原の割には乾燥した感じがした。時期がもっと後なら、また違った印象だったのかもしれないが。 木道が整備されているので散策しても良かったのだが、長手方向だと往復4kmで結構時間がかかりそうな事と、ライダーのカップルが先に歩き始めたので「邪魔しちゃ悪いかな」と思って今回は歩きませんでした。カップルがいると、キャンプ場でもそうだけど周りが結構気を使うんですよね(^_^;) 祖谷のかずら橋かずら橋は、サルナシ(しらくちかずら)等のつる植物を使って作られた橋で、全国に3ヶ所ほどあるらしいが構造上人専用にならざるを得ない。三好市HPによると、3年ごとに架け替えられるとか。ここはすっかり観光地になっており、山中を走っていくと車やバイクが突然多くなって驚く。 駐車も有料(300円)で、かずら橋を渡るのに500円かかるので、行かれる方はあらかじめご承知の程を・・・。 払うものを払って、他の観光客と共に渡り始めるが・・・これがなかなか結構怖い。構造上揺れるのは避けられないし、橋の真ん中をスタスタ歩くなんてほぼ不可能。 他の観光客も欄干に掴まって渡っているので、橋の上は二列縦隊になっている(^_^;) ちなみにこの橋は一方通行になっています。これで双方向から渡る人がいたら橋の上が大変な事になっていただろうし、当然の処置といった所だろうな。 何せ足元がこんな状態ですからね(汗) 横木の間が結構開いていて橋の下が丸見えなのはもちろん、気を付けて足を運ばないと踏み外しかねない。 従って、橋からの風景を撮ろうとして橋と直角方向を向く為には欄干に掴まらないと危ないんだけど、欄干に掴まって止まっていると他の観光客の進行妨害をしてしまうので、橋の上では写真を撮るのも一苦労。 欄干はこんな感じ。 よくこんなんで多数の観光客の重みを支えているなぁ、と思う人も多いでしょうが、そこはそれ、しっかりワイヤーによる補強がされていたりする。 渡っている時は気が付かなかったんだけど、例えば上右側の足元の写真ですが、よ〜く見ると茶色の被覆が施されたワイヤーが確認できる。(一番右側が分かりやすいです) こうした補強は安全の為ではあるんだけど、もう一つ理由があって、橋の材料である太いサルナシ(しらくちかずら)の入手が難しくなってきているのもあるのだそうな。これはまぁ仕方が無いでしょうな。ワイヤーも言われて気が付く程度に目立たなくしているし。 その後はR32に戻り、大豊町でR439へ。そのままひたすら西に向かう。 「酷道」として有名なR439も、仁淀川町(TMのP83)辺りまでは整備が進んでいて道幅も広く、快適に走る事ができる。 R439・旧大峠トンネルR439は改良があちこちで進められている。そのうちの一つが新大峠トンネルだ。TMではP83-K-2になるのだが、すぐ北側に大峠トンネルというものがある。だいたい予想が付くと思うが、この大峠トンネルに向かっている道がR439旧道。私は当然旧道にハンドルを向ける事になる。これが現在供用中の新大峠トンネル(東側抗口)。快適に通過できるが、快適すぎて面白くない。 旧道はここの少し手前を右に入っていく。 旧道はこんな感じ。離合困難な狭路と急カーブで峠に向かって標高を上げていく。新大峠トンネルが開通したのが2002年(平成14年)なので、それ以前はこの道がR439だった訳だ。 私の古い知り合いでR439全線をバイクで走破した事のある人がいるのだが、その人曰く「もうやりたくない」そうで(^_^;) そりゃ当時はR439と言えばこんな道ばっかりだったわけで、嫌になるのも分かると言うもの。 で、つづら折れの坂を登りきった所にあるのが旧大峠トンネル。1973年(昭和48年)竣工なので、約29年間R439のトンネルとして使われてきた。 一応二車線規格になっていて、トンネル前後も二車線になっているのだが・・・ここに来るまでの道が余りにもアレなので、ここだけ二車線になっている意味が非常に薄いと言わざるを得ない。 ちなみにこの地点から右方向にダートの道が分岐しているが、地図で確認したら更に古い峰越えの旧旧道のようだ。地図上では途中から点線になってしまうが・・・。 旧大峠トンネルは、旧道とは言え今でも現役として使われている。内部もそれなりに劣化しているが、ほぼ直線で照明も点灯しており通行に全く支障は無い。 ただし、当然ながら交通量は極少。私が写真を取っている間、ただの一台も車両は通行せず、唯一静けさを破ったのは私の乗ってきたCLのエンジン音だけだった。 トンネルから先は再び一車線幅の道となり、R439現道までタイトターンを繰り返して下っていく。 R439を矢筈峠に向けて進行する。この付近、地図を見ると予想できるけど未改良の部分が結構残っている。 一番最たる部分がこの辺り。 見ての通り民家の軒先を走る一本の道、これが現時点における現役国道439号線です。対向車が来たら、こちらがバイクでも目一杯端に寄せないと離合不可能。 ちなみに右写真を撮るほんの1〜2分前には、大型トラックが下って行きました(写真では奥から手前方向へ)。車体の両側を擦り付けんばかりに道幅を目一杯使って・・・。 パワーショベルやブルドーザーを運ぶ大型トラックだったんだけど、なぜこんな道を通るのかと言うと、この先ではR439の改良工事が行われているからなんですね。 見ての通り右が建設中の新道、左の狭〜い道が現道。そしてここから峠方向は二車線の道になってます。ほんの1kmちょっとなんだけど(^_^;) R197→県道19を走り継ぎ、例によって天満宮キャンプ場へ。 しかし場内はファミリーキャンパーで溢れかえっており、受付しようと管理棟に入ったら管理人さんから「先にテントを張ってからでも良いですよ」と言われる。その位場内は混んでいた。 場所を検討した結果、管理棟すぐ下のレンタルカヌー倉庫の脇に場所を設定。屋根の下にCLを止められるし、「こりゃいいや」とばかりにテントを張る。 ファミリーキャンパーから少し距離を置くことが出来たし、この夜は落ち着いてキャンプをする事ができた。しかし、この場所にテントを張った事で翌日に予想だにしない状態になる事を、この時点では知る由もなかった・・・。 [ 5/1 | 5/2 | 5/3 | 5/4 | 5/5〜6 ] |
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