2009年・四国の旅日記です。 | |
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2009GW 四国の旅5月5日今日のテーマ(?)は、R195の旧道探訪。R195は高知市と阿南市を結ぶ山間地を通るルート(R195自体は高知市が起点で徳島市が終点、ただし阿南市〜徳島市はR55と重複)。 ほとんどが二車線で交通量も少なく快調に走る事ができる道だが、GSが極端に少ないのと未改良の部分がまだ残されている場所があるのが通行における注意点。 で、山深い所を通る関係でトンネルも数多くあるのだが、ある程度の長さを持つトンネルには旧道が数多く残されているのも特徴。今日は阿南市まで移動するに置いて、できるだけ旧道を通ってみようと計画した。移動距離の割に時間を丸一日取ったのも、必然的にペースダウンを余儀なくされるからである。 ホテル一階のレストランで朝食をサクサクと済ませ、CL400に荷物を括り付けて出発。 R195旧道探訪のメインディッシュ(?)は、奥物部辺りからになる。 臼杵トンネル臼杵トンネル(P78-F-7)は竣工が1987年9月と、思っていたより新しかった。大型車の離合に不都合は無いのはもちろん、歩道も設置されている。大きな特徴はこれと言って無い、ごく普通の現代のトンネル。 で、ここから右に視線を移動させると・・・。 旧道は非常に分かりやすく、高知側から進行すると右側に分岐している。センターラインも残っており、旧隧道も国道から抗口を確認できる。 ・・・が、既に閉鎖されており、完全に役目を終えている。 隧道断面も現トンネルより一回り小さく、大型車の離合はできなかっただろう。 徳島側の旧道も残されており、舗装もまだしっかり残っているのでロードバイクでも十分進入可能。 隧道本体は奥まった場所にある為に、国道からは見る事ができない。 旧道は両側から雑草に侵食されつつあり、実質的に一車線分の幅しかなくなってしまっている。 しかし掘割の幅と黄色いセンターラインが、かつての幹線道路であった事を物語っている。 以前は両側に不法投棄された廃車があったらしいが、今は撤去されている。 旧隧道徳島側抗口も閉鎖。 写真を見ての通り、現トンネルよりかなり狭い隧道であったことが分かる。 で、写真を見て気が付いたのだが、高知側と徳島側で抗口の大きさがえらく違うような・・・? 高知側抗口には高さ制限4.6mの標識が残っているが、左写真の徳島側抗口はどう見てもそれより高さが無いような気がするのだが・・・? 抗口を取り囲む制限バーも、高知側には無かったし・・・。 旧隧道の詳細なスペックが分からないので、この件に関してはこれ以上どうしようもないですな。 ちなみにCLの左側から峰越えらしき道が伸びているのだが、もしかしたら旧隧道完成以前の旧旧道か? その先のトンネルも抗口の脇から旧道が分岐している場合が多く、進入できそうな道は積極的に進入していった。ほとんどの旧道は一車線幅しかなく、舗装の補修もほとんどされておらず、なおかつ舗装の上に土が被さってダートと化している区間が多い。 以下、トンネルができる前の旧道の写真を載せていますが、少々記憶があやふやになってきているのも事実。 記憶と地図とWeb情報とを重ね合わせて書いているので、トンネル名は100%確実ではないのであらかじめご了承の程を。旧道進入前か後にトンネルの銘板を取っておくかメモしておけば良かったのだが、本降りの雨の中ではカメラを出すのが非常に億劫だったのも事実です。 ■崎岩トンネル旧道 半分以上は舗装が残っているものの、徳島側は完全にダートと化している。土砂崩れがあったような形跡は無いが、ダート区間は舗装が残っている区間より路面が一段高くなっている状態。 もっとも舗装が残っている区間も落ち葉が多く、ほとんど通行が無いのは一目瞭然。 オフ車や4WDなら問題も無く通行可能だけど、尖った石が転がっていたりするので要注意。 ■木床第一トンネル旧道 こちらの旧道、適度に荒れてて面白そうだと進入したのは良いものの、ほんの100mほど走ったところで断念。 何故かと言うと、写真を見ての通りの状態・・・。写真中央部、路面が川に崩落して消失しているのがお分かりになるかと。 徒歩や自転車なら突破可能かもしれないが、さすがに荷物満載のCLで突破する気にはならない。(汗) 旧道・廃道探訪は私にとっては楽しいが、さすがに無茶はできない。 ■木床第二トンネル旧道 こちらは旧道の半分程度を進行した所でご覧の有様。不法投棄&激藪で、これ以上の進行を断念せざるを得なかった。 旧道・廃道探索を趣味としている人の現地での移動手段には、車・バイク・自転車・徒歩及びそれらの組み合わせがある訳だけど、こういう場所の場合は自転車・徒歩組がやはり優位に立つ。 ここをバイクで突破できる人といったら、おそらく この人 くらいじゃないだろうか。 ■西宇トンネル旧道・西宇隧道 高知側抗口 西宇トンネルの旧道にも旧隧道がある。 しかしこの旧西宇隧道、高知側は馬蹄形の抗口に四角いロックシェッド(?)が付け足されており、独特の雰囲気をかもし出している。 幅2.4m・高さ3.5mの制限が付けられたこの旧隧道、実はまだ現役。もちろん通行するのは地元の人がほとんどで、それ以外は私のような好き者以外はまず通らないだろう。 断面が馬蹄形をしているのは両抗口付近だけで、内部は素掘り+コンクリ吹き付けと至ってシンプルな作りである。 照明? そんなものはありません。 ■西宇トンネル旧道・西宇隧道 徳島側抗口 こちら側は抗口が出っ張っている関係か、高知側のような追加ロックシェッドは無い。 この先は民家の脇を山肌に沿うように高度を下げて、現国道と合流している。道幅と言いトンネルの規格と言いかなり貧弱だが、これでもれっきとした元国道。 しかし、この西宇隧道を初めとしてこれまでの旧隧道は、これでもまだマシなほうだった。 ■九分名トンネル旧道・九分名隧道(?) 高知側抗口 (クリックすると600x800の画像を別ウィンドウで表示します。275.3KB) ついに出ました、素掘りの隧道! 寄り添うように建てられている高さ制限3.0mの真新しい標識が、何とも言えないシュールさをかもし出している。 もちろんこの道も隧道も、れっきとした国道195号線旧道。しかも、通行止め等の規制は一切無く、普通に通行可能である。 大型車は無理としても、普通車までならトンネルまでは通行できるだろう。ただしトンネルを出た瞬間に、大きく減速又は一時停止せざるを得ない状況に陥る事になる。 ■九分名トンネル旧道・九分名隧道(?) 徳島側抗口 徳島側抗口とR195現道は、狭隘&急勾配の短い橋で接続されているからである。 私見だが、元々の路面は旧隧道の路面と同じ高さで、橋も水平に近いものだったと思われる。そして新トンネルを開削するに当たり、路面が掘り下げられた為に橋を新たに作り直してこうなったと思われる。 写真を見ての通り、旧隧道は徳島側から進行して来た場合は目視で確認可能。もっとも、見えたからと言ってバイクや車で入っていく人は極少数だとは思うが・・・。 この旧道は、歩道的な使い方をされているのではなかろうか。実際、もし移動手段が徒歩か自転車だったら、私だったら迷う事無く旧道を選ぶだろう。 ■柳瀬トンネル旧道・柳瀬隧道 高知側抗口 ツーリング中のブログ旅日記でもUPしたが、ここもワイルドな旧隧道。 こちらも通行規制は特に無く、普通に通行可能。それどころか、路面状態を見ると舗装を塗り直した形跡すらある。 やはりこちらも、歩道・自転車道的な使い方をする為なのだろうか。 四国というとお遍路さんがおられる訳だしツーリング中も良く見かけるので、最初はその為か? と思ったが、よく考えたらR195はお遍路のルートではない(実際、R195ではまず見かけない)。 九分名・柳瀬両トンネルは旧道を意図的に残しているのは分かるけど、その本当の理由は現時点では不明。 上記の他にもいくつかの旧隧道を通ってきたのだが、写真を撮っていないのでここでは省略。雨さえ降ってなければ、もっとマメに写真を撮っていたんだけど・・・。 TMのP79-I-4を見ると「水崎廻り」とあり、赤枠で囲って「ミニ四国八十八ヶ所巡り」と書かれている。 最初は「何のこっちゃ」と思っていたのだが、行ってみて納得した。 写真には左端と右端に小さな祠があるのだが、その一つ一つに「○○番 ○○寺」と名前が付いている。つまりこの祠を全部拝んで回れば、四国八十八ヶ所巡りを疑似体験できるという事のようだ。 那賀町のHP等によると、1931年(昭和6年)に体の不自由な人でも八十八ヶ所巡りができるようにと、それぞれの寺院の土を持ち帰り各寺院の本尊の石仏を建立したのが始まりとか。 詳しい事は知らないが、弘法大師の忌日という毎年旧暦3月21日には、大勢の人が訪れるという。 その後は阿南市まで移動、恒例となっているいつもの宿へ。チェックイン後は市街地まで出かけて、キャンプ道具を自宅へ送る。 ついでにR55の橘トンネルもバイパス開通により旧道化したので見に行ってみた。 地図はこちら トンネル自体は通行可能だったが、トンネル東側はヘアピンカーブの先で道自体が削り取られて無くなっていた。それもそのはず、このヘアピンカーブを解消する為に新トンネルが掘られたのだから・・・。 で、一番ショックだったのが、この旧道化した橘トンネルには更に先代の橘隧道があった事を、帰ってきてから知った事(^_^;) もっとも初代橘隧道は既に通行が不可能になっているのだが・・・。 5月6日朝食をしっかり取って、出発したのは8時過ぎ。特に渋滞に巻き込まれる事は無かったが、高速を走り続けるのは退屈だし面白みが無い。ETCを付けていないので割引も対象外だし・・・。 午後3時過ぎ、無事帰宅。 総走行距離 1729.7 km 燃料給油量 62.09 リットル 総合燃費 27.86 km/L 思っていたより燃費が伸びなかった。それ以上に驚いたのが、オイル減りが予想以上だった事。 空冷だしある程度は予想していたが、後日オイルレベルのチェックをしたら、上限に合わせてあった油面が下限まで減っていた。パワーが無いので高速ではアクセルを大きく開ける機会が多かったのは確かだけど、ここまで減るとは思わなかった。空冷単気筒って、こんなものか? [ 5/1 | 5/2 | 5/3 | 5/4 | 5/5〜6 ] |
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