キャンプ旅に行こう 2008年夏・北海道旅日記です。
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2008年夏 北海道の旅

8月10日

昨年は新潟港到着が遅くなってしまった為、乗船手続きに時間がかかってしまった。

二の徹を踏まないために、仕事疲れが取れていない体に気合を入れて、午前1時に起床し午前2時、出発。新潟に向かって高速をひた走る。

今回はデミオ君が旅の相棒ということで、休憩も少なめ。ガソリンも満タンにしておいたので、新潟まで余裕で無給油で行ける。

・・・ってな訳で、昨年より1時間近く早く到着。そのお陰で受付待ちの列も昨年よりずっと短く、程なく完了。

乗船スロープの下には、乗船待ちのバイクが何台も止まっている。正直言って羨ましかったが、今回はこのフェリーのバイク枠が取れなかったし、今回初めての車&チャリの旅を楽しもうと思いつつ、船中の人となった。

8月11日

フェリーは定刻に小樽港に到着。今回は車なので、フェリーを降りるのもバイクの時よりずっと早かった。

上陸初日は、久しぶりに日本海側を北上する予定。とりあえずデミオ君に給油しておこうと、国道沿いのセルフスタンドに入る。

ちなみにその店では、レギュラーが178円/リットル。同じセルフでもうちの地元より13円/リットルも安いんだけど・・・。さすがは大きな港町と言うべきか。

三毛別ヒグマ事件復元現場

三毛別のヒグマ事件は、大正時代に実際にあった事件。

以前から気になっていた所だったが、こちら方面に来る機会があまり無くて、後回しになっていた。

現地手前数百メートルはダートという事だが、今回はデミオ君で行くので特に問題は無い。ナビを見ながらスムーズに現地に到着。

※事件の概要

大正4年12月9日、苫前郡苫前村三毛別六線沢(現在の苫前町三渓)という場所に巨大な熊が出現し、9日・10日の間に民家12件を襲い6人(胎児を含めると7名)が死亡、3人が重症を負った。

熊はその後、山本兵吉という鉄砲打ちの名手によって、14日に仕留められた。この熊は「袈裟懸け」と呼ばれる悪名高い熊で、身長2.7m、体重340kgあったという。

現地案内看板
(640x480、103.7KB、ブラウザの「戻る」でこのページに戻ってください)

現地案内看板に書かれた内容もなかなか鬼気迫るものがありますが、詳細はもっと悲惨です。とてもここでは書けないくらい・・・(汗)。検索してみると凄惨な事件の様子が詳細に書かれたサイトもあるので、「三毛別ヒグマ事件」で検索してみてください。

この事件の復元地、実際の事件のあった部落より三毛別川の上流に位置する。つまり、道道1049号線自体がまさに事件現場一帯を通ってくる道なのである。ここから先にも道道は続いているが、道幅車一台分の林道になる(ちなみに行き止まりとの事)。

復元地の周囲は鬱蒼とした森に囲まれ、本当に熊が出てきそうな雰囲気。TMには載っているものの、観光バスがやって来るような場所ではなく見学者は私一人だけだったのでどうにも心細い。

実際、本当に熊が出没する事がある、と現地のパンフに書かれている。ちなみに携帯電話は全キャリアで圏外になるので使用不可能。

ここは当時の開拓小屋、粉引き小屋の他、熊の引っかき傷や足跡等もある。まずは復元された開拓小屋へ。

この復元住居、実際に被害にあった家をモデルに復元されているとの事だが・・・確かにこの作りでは、巨大ヒグマに襲われたらひとたまりも無いだろう。同時に、これで冬を越していたという事に驚く。

中に照明は当然ながら無く、薄暗さが心細さに更に拍車をかけてしまう。補修したばかりなのか所々真新しい板が使われていたりしてちょっと興醒めな部分はあるものの、古いタンスやランプ等が開拓時代の生活を垣間見せてくれる。

一通り見学後、道道を戻る。この道道1049号線には「ベア・ロード」という愛称が付けられており、所々に可愛らしい熊の親子の絵が描かれている看板があったりする。

しかしその元になった出来事が余りにもアレなので、正直言って複雑な心境になってしまったのも事実。町興ししたい気持ちは分からなくは無いけど・・・。

旧JR深名線・白樺駅跡

JR深名線は、深川〜名寄を結んでいた路線。道内屈指の閑散赤字ローカル線であったが、冬季の代替輸送機関の未整備の為、廃止対象の候補に何度も挙げられつつも営業運転が続けられた。

そしてR275整備に伴い代替バス運行の目処がついた為、1995(平成7)年9月4日をもって廃止となった。

R275は朱鞠内湖の南側〜東側を通っているがJR深名線は西側〜北側を通っており、その区間には「湖畔駅」・「宇津内仮乗降場」・「蕗の台駅」・「白樺駅」が存在していた。湖畔駅跡は以前に訪問済み(路盤跡は朱鞠内駅側に残っているが、駅自体は跡形も無し)なので、今年は残りの三つのうち蕗の台駅跡と白樺駅跡を訪問してみようとやって来た(宇津内仮乗降場については後述)。

とりあえず南西側から道道528号線に入るが・・・湖畔駅跡の先2km程で強固なゲートで塞がれて通行止め。やむを得ず朱鞠内湖を迂回、北母子里駅跡の様子を確認した後に道道688号線へ入る。

まずは白樺駅跡を探すが・・・具体的な目印がある訳ではないので、左に入っていく道を見つける度に徐行して様子を伺いそれらしきダートに入ってくと、ちょっとした広場の真ん中に木が一本。どうやらここらしい。広場の真ん中に木が一本というのは、要は駅前広場とロータリーの中心にある木の事。北海道の駅跡にありがちなパターンなのだ。

で、広場に車を止めて先に進んでみると・・・ありました、白樺駅跡と路盤の跡が。写真を見ての通り、かつての路盤跡はその部分だけ樹海が切り開かれて残っている。

ちなみに駅の名前の白樺とは、周囲が白樺林になっている事から付いた駅名。もっとも、他に名前の由来にするようなものが無いのも事実なんだけど。

で、驚いたのが転轍機(線路の分岐器を動かす装置)の残骸があった事。てっきり白樺駅は最初から鉄骨の骨組みの上に板を張っただけの仮乗降場スタイルと思い込んでいたので、新鮮な驚きだった。

帰宅後に調べてみたら、開業当初は何と有人駅で列車交換(すれ違い)可能で貨物用ホームもあったのだとか・・・。その後に貨物の扱いが無くなり、無人化され、単線化され、駅舎も解体され、ホームも仮乗降場スタイルになり、冬季は全列車が通過するようになり、臨時駅に降格となり、平成2年に駅自体が廃止となった。そしてその5年後、深名線自体が廃止になった。

まぁ考えてみたら・・・成るべくして成った、という所だろう。何しろこの付近、現在は完全無人地帯で降りたところで行く所も無い。

Web情報では戦前戦後にかけて付近に開拓集落があったようだが、日本でも有数の極寒豪雪地帯でもある朱鞠内湖周辺では、生活を維持するのは難しかったのだろう。

左写真のホームへ下りる階段を登ろうとして、藪に隠れていた側溝に左足を突っ込んでしまい、左の靴を泥まみれにしてしまうというアクシデントがあったが、現役の頃に一度来てみたかったなと思いつつ、次の目的地である蕗の台駅跡に向かった。

旧JR深名線・蕗の台駅跡

蕗の台駅跡は、道道688号線から528号線に左折して程なく現れるT字路を左折した所にある。しかしこの道道528号線、688号線からいきなりダートで分岐するので、単なる林道と見間違いやすい。

蕗の台駅跡に行く前に道道528号線を行ける所まで行ってみようと思い、あえてT字路を右に行くが、やっぱり2kmほどで強固なゲートで封鎖。2回ほど切りかえししてデミオ君の方向転換をし、蕗の台駅跡へ。

右写真、デミオ君の上に何やら看板の跡があるが、数年前までは上段に「↑蕗の台駅0.1km」、下段に「←母子里12km」と書かれた看板があった。

もっとも交通量皆無に近いこの道では、ほとんど意味が無かっただろう。


蕗の台駅跡も、白樺駅跡同様にちょっとした広場になっている。

駅名の由来は、周辺で蕗が多く自生している事から付いたとの事。戦後の食糧難の時代にはこの蕗を求めて札幌や旭川などから多くの人がやって来て、活況を呈した事もあったらしい。

運送会社の営業所まであったとの事だが、現在ではその面影は全く無く、当時の様子を思い浮かべる事など不可能だ。今では民家は完全に消滅し、周辺は原生林が広がっているだけである。


白樺駅同様、最初は列車交換可能で貨物ホームもある有人駅だったが、その後は白樺駅と同じ運命を辿った。現在の様子は、藪に埋もれた路盤跡が確認できるだけ。後は駅跡に続く道と広場が、かつてここに駅があった事をかろうじて留めているだけである。

白樺駅にしても蕗の台駅にしても、いくら代替輸送手段が整備されていなかったとは言え、利用者がほとんどいないにもかかわらず、平成2年まで廃止を免れていたというのは驚くしかない。

もし鉄道に特に興味の無い般ピー(一般ピーポーの略)をここに連れてきたら、きっとこう言うだろう。「何でこんな所に駅があったの?」「そもそも何でこんな何も無い所に鉄道を作ったの?」と。

私だって何も知らずに来たら、同じ事を思うだろう。

しかし、北海道の場合は「原野・原生林の開拓」という内地とは違った事情があった。広大な北海道を開拓するにあたり、自動車と道路が未発達な開拓時代は鉄道は物資や人々の輸送手段の主力であり欠かせない存在だった訳で、そうした背景を知らないと白樺駅とか蕗の台駅のような存在は理解できないだろう。

こうした廃線・廃駅は時代の移り変わりの象徴みたいなもので、哀愁を感じてしまう。こうして好き好んで訪問している私は、それだけ歳を食ったという事なのだろうな。



今日の訪問予定地はとりあえずこれで終了。キャンプ地へ向かう事にする。

まだ宇津内仮乗降場が残っていたが、道道の通行止め区間にあるのと、例え通行できたとしても廃止されたのが昭和30年代前半と古く、場所が朱鞠内湖と宇津内湖の間の水路(TM北海道版P51-J-3とJ-4の境目)の少し北あたり(詳細な位置は不明)で、道道528号線から更に林道に分け入るという車でも行くのを躊躇うような場所なので、断念せざるを得なかった。



その後はR275を一旦北上、泉PAにてトイレ休憩と同時に水道で左の靴にこびりついた泥を洗い流す。しかし完全に泥を落とし切る事など当然無理なわけで・・・。

仕方が無いので名寄のホーマックに立ち寄って安〜い靴を購入、R40を南下して旭川に向かった。

春光台公園グリーンスポーツ施設

今日のキャンプ地は、旭川の春光台公園グリーンスポーツ施設。

ここを選んだのは、まず無料である事、買出しが非常に容易である事、設備が整っている事、そして実際来て嬉しい誤算だったのが市街地に近いのにうるさくない事(場内放送が少しうるさいが)、そして明日の訪問予定地に行くのに非常に都合が良い場所だったから。

管理棟で受付を済ませ荷物搬入に取り掛かるが、駐車場とサイトは200〜300mほど離れており、搬入は結構大変だった。リヤカーがあるのでそれを使って一気に運び込んだけど、荷運びが大変なのがここの唯一の難点。

バイクはサイト内に持ち込めますが、公園内でのエンジン始動は絶対禁止ですので、利用される方はご注意を。管理人の方からもしつこい位言われますが、そのお陰で快適なキャンプ環境が維持できているので。ちなみに自転車も場内では乗車禁止(管理用許可車両は除く)です。

明日はここに連泊して、短い距離ながらも北海道で初めてのチャリツーリングの予定。テント設営完了後、デミオ君からチャリを降ろしてテント脇まで運び、ハンドルやサドルの調整&ブレーキ周りと空気圧の再チェック。試運転を兼ねて近所をウロウロし、ついでに買出しも済ませる。

日が暮れると気温もぐっと下がってくる。久しぶりに感じる涼しさをありがたく思いつつ、明日に備えて早めにシュラフに潜り込み、眠りに落ちた。

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