キャンプ旅に行こう 2008年夏・北海道旅日記です。
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2008年夏 北海道の旅

8月14日

ホテルをチェックアウト後、道道142経由にて尾幌にてR44へ。厚床からR243を北上。

奥行臼駅逓

駅逓というのは北海道がまだ開拓時代だった頃に、開拓に来た人々や旅人に人馬の貸し出しをしたり郵便を扱っていた宿泊施設で、当時は物流と情報の拠点のような役割を果たした北海道独自の制度。

北海道各地に最も多い時で238ヶ所、馬も2800頭以上配置されていたとの事だが、鉄道の開通や開拓の終了と共に廃止になった。

奥行臼駅逓は明治43年に開設、別海・別当賀・西別方面に向かう旅人に利用され、昭和5年に廃止になるまで大変な賑わいを見せたとの事(現地案内看板より)。現在は北海道の指定有形文化財になっている。

駅逓としての役割が終わった後も、しばらくは旅館として営業していたとの事。元々が宿泊施設でもあった駅逓ならではの再利用方法で、納得。

残念ながら中を見る事は出来なかったが、建物の大きさと使用目的から部屋数も多そう。玄関横の出窓のデザインは、明治時代には結構ハイカラだったのではなかろうか。レンガ造りの煙突がちょっと浮いている感じはあるが、北海道の建物らしい部分でもある。後から追加されたのかもしれないが・・・。

案内看板によると右側部分(写真では奥方向)は大正時代に建て替えられたとの事。全体的にしっかりしている感じだけど、写真を見ると分かるが煙突周辺の屋根がちょっと変形してしまっており、傷みが進行している感じもある。

周辺のいくつかの建物も見て回ったが、すっかり廃屋となっていた。もし駅逓関連の建物だったら整備・保存したほうが良いような気もするが、まぁいろいろ事情もあるのだろう。

奥行臼駅跡

奥行臼駅は、平成元年に廃止された旧国鉄標津線の駅だった。

今にして思えば、駅前が妙にだだっ広かったのだが、この時は特に気にしていなかった。後でその理由を知る事になるのだが・・・。

別海町にあった五ヶ所の駅のうち唯一現存する駅で、昭和初期の建築様式を残している事、そして別海町開拓における歴史的な建造物として、別海町指定文化財になっている。


かつての待合室の中は簡素ながらも資料展示室となっていた。運賃表や時刻表や路線図、そしてセピア色になった賑わっていた頃の写真等。

古びた板張りの壁、木枠の窓とドア、そして現役当時のままと思われるベンチ・・・。閑散とした田舎の駅という感じがそのまま残されていて、私はとても好きである。

待合室から直接ホーム側に出られなかったので、駅舎を回りこんでホーム側へ出る。


そこには、駅構内のレールとホームがほぼそのまま残されていた。

「ほぼ」というのは、写真で一番右側の線路(貨物用引込み線)は廃止後に再設置されたもので、現役当時のものではないから。でも良い具合にくたびれて(?)いて、雰囲気を壊す事は無く自然な感じだった。構内の片隅には腕木式の信号機もある(再設置されたものらしい)。

右写真だけ見ると古びた現役の駅のようで今にも汽車が来そうな感じがするが、真っ赤に錆びたレールが廃線である事を無言で語っている。

20年前までは実際にここを汽車が走っていたわけだが、当時の頃に思いを馳せつつすぐ近くにある次に目的地へ移動した。

別海村営軌道・奥行臼停車場跡

別海村営軌道・風蓮線は、現地案内板によると元々は厚床〜風蓮間の拓殖軌道(開拓の為の鉄道)が始まりで、昭和28年に北海道と別海村(現別海町)が管理協定を結んで運行、同38年に動力化して運行された。軌間(線路幅)762mmのナローゲージ軌道。

地域住民の交通手段・生活物資や生産物資の輸送手段として活躍したが、道路網の整備により昭和46年をもって廃止となった路線。廃止時の運行区間は奥行臼〜上風連だった。

ちなみに「動力化」というのは、軌道上を運行する車両に動力が付いた・・・という事なんだけど、ではそれまでは何で動かしていたのかと言うと、何と馬なんですね(^_^;)

で、奥行臼駅跡のすぐ近く(歩いて行ける距離)に軌道跡が残っている。ここが奥行臼停留所跡である。

停留所なのにホームの跡が無いと思っていたが、現役時代の写真を掲載しているWebサイトを見ると、元々ホームは無くて地面から直接乗り降りしていたようだ。

線路自体はもともとの場所にあり、左の建物は駅舎兼事務所。そして建物の奥にはターンテーブルの跡。ターンテーブルの奥(写真では左側の奥のほう)にも何か建物の残骸があったが、車両保管庫だったと思われる。

で、早速車両を見て回る。

この車両は気動車なのであるが、俗に「自走客車」と呼ばれている。銘板を見ると釧路製作所製で形式は「KSC-8型」、昭和38年製。つまり8年間しか使われなかった。

床下を覗き込むと、エンジン・燃料タンク・ラジエーター、そしてドライブシャフトが丸見えに近く、補機類がとても少ない。二つの二軸台車、つまり車軸が4本あるうちの1本だけに動力が伝えられるようになっていた。私が見てもかなり簡素な構造をしているのが分かる。それでもトルコンを使っている等、当時としては新しい技術を取り入れていた。

ちなみにエンジンは吸気と排気がどちらも下向き。自動車ではまず見ない構造で、なかなか興味深かった。弁形式はOHVか?

車両内部も至って質素。今のバスのほうが豪華なくらい。それにしても、8年しか使われなかった割には車内の劣化が進んでいる印象だ。車体も塗装が色褪せてしまっているし。数少ない拓殖軌道の資料なのだから、せめて車両の上に屋根くらいは付けても良いのでは、と感じてしまった。

しかしまぁ、こうしてみると現役当時に是非乗ってみたかったな・・・とつくづく思う。もっとも私がもっと早く生まれているか、もしくは村営軌道がもっと長生きしていない限りチャンス自体が無かったわけで、今となってはどうしようもない訳だが。


こちらは、貨車や動力の無い牽引客車(普通の客車ね)を牽引していた機関車と、無蓋貨車。

こういう小さな機関車を見ると、いかにも簡易軌道らしいという感じ。現役当時はミルクタンク車を牽いて牛乳の輸送もしていたのだとか。このあたりも北海道らしい。

村営軌道は奥行臼停留所の先、国鉄の奥行臼駅のすぐ脇まで線路が延びていた事は帰ってきてから知ったんだけど、旧国鉄奥行臼駅前が妙に広かったのも、そこに別海村営軌道の線路があったから。

で、調べていて現役当時の写真を見て一番驚いたのが・・・

踏み切りの遮断機が、線路側を遮断する構造だった事。

いくら村営軌道の速度が遅くて、国鉄奥行臼駅までの短い距離で90度向きを変える急カーブだったとは言え、線路側に遮断機がある(つまり道路優先)という今では考えられない構造に驚いてしまったのは確かです。さぞかしのんびりと原野を走っていたであろう事が、この事からも想像できる。

これらの事を事前に知っていたらまた違った面白さがあったんだろうけど、ここの存在を知ったのは、TMとは別にフェリー内で買った1000円の地図からで、詳細までは知りようが無かったというのが実態。

バイクツーリングの地図の定番と言えばツーリングマップル(TM)だけど、たまには違う地図を見るのも良いものだと、改めて実感。ちなみに今まで書いてきた3ヶ所は、いずれもTMには載っていない。従って、ライダーの姿はほとんど無い。

奥行臼停留所を見学中に、さっきまで私がいた奥行臼駅にライダーが来た(音で分かった)が、それだけ。多分「鉄ライダー」と思われる(笑)

TMばかり見ていると、本当にTMに載っている場所にしか行かなく(行けなく)なってしまう。確かにTMは大きさがバイクツーリングに使いやすいようにはなっているが、他の地図と見比べながら旅をするとまた違った発見があるので、一度試してみてはいかがだろうか。

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