キャンプ旅に行こう 2008年夏・北海道旅日記です。
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2008年夏 北海道の旅

8月15日

目を覚まして外を見ると天気は相変わらずの曇り空だが、雨は降っていない。

「こんな事なら、キャンプにしても良かったかなぁ・・・」と思いつつホテルのレストランで朝食を済ませ、身支度を整えて出発。

でもまぁ、キャンプ場はお盆の頃に利用者が集中して混雑するし、ホテルなり何なり宿を使ったほうが喧騒から逃れられるし、これはこれで正解だったのかなと思ったりもする。レジャーとしてのキャンプならともかく、宿泊手段としてのキャンプは静かな場所でテントを張りたい。

今夜の宿は既に予約済み。後はどこへ寄って行くか昨日から考えていた。

とりあえずR238を西へ。紋別からR273に入り、とある場所へ。

西興部村 某所

左写真を見て場所がすぐ分かった人は、北海道ツーリングを何回もこなしているベテランとお見受けします。

地形を見て「何これ? 管理人の事だから、廃線の路盤跡ぢゃねーの?」と思われた人、ハズレです。

ここは単なる川です。TMに名前も載っていない、小さな川。写真中央左下にあるコンクリート建造物は、単なる堰堤です。

ここは、ある物が出来る事で有名だった所。何故過去形かというと、TMから情報が意図的に削除されている事と、テレビ等のメディアでも紹介されなくなって久しいから。詳細な場所はあえて伏せます。

正直言って、少し怖かったのも事実。この場所、今はかなり手前でゲート封鎖されており車やバイクでは行く事ができず、ゲート手前の駐車場所から結構歩かねばならない。周囲は鬱蒼とした森、そして周囲数kmの範囲内には人がいないのが分かっている事、そして降り続ける本降りの雨・・・。

もちろんその怖さは熊出没の危険性が無きにしも非ず、というその一点に尽きる。熊避けの鈴を持参していないので、代わりにラジオを持ってきたのだが、ラジオの電波でさえ圏外に近く、かろうじて音楽や声が聞こえてくるという状態。

いや、マジで心細かった。とりあえずラジオのボリュームを目一杯大きくして、本降りの雨の中を歩くが・・・大型動物らしい糞を道路上に頻繁に見かけるし、何度か引き返そうかと思ったくらい心細かった。

で、川を石伝いにヒョイヒョイと渡って目的地に辿りついたが、「ある物」は今年は全く無かった。実は「今年は無いかも・・・」と、ある程度予想はしていたのだが、予想が的中してしまったわけで。

そのまま引き返すのも癪だったので、とりあえず上の写真を一枚だけ撮って踵を返す。心持ち早足だったのは言うまでも無いが、デミオが見えてきた時は心底ホッとした。

旧国鉄名寄本線・上興部駅跡

ここは昨年も訪れた場所。スカイウェイブのイモビライザートラブルでエンジンがかからなくなって途方に暮れた、思い出(?)の場所でもある(苦笑)。昨年は資料館になっている駅舎内以外はじっくり見ていなかったので、駅舎以外の部分も見ておこうと思ったのだ。

駅舎のホーム側は写真の通り。ホームはほぼ当時のままだが、半分は歩道で埋められてしまっている状態。線路もあるが、廃線後に一度撤去されているようなので、再度敷設されたのかも。

あと気動車(キハ27 109)も置かれているが、床下の機器類はエンジンを始めとしてほとんどが撤去されており、スカスカになってしまっている。正直言って、ここまでやらなくても良いんじゃないかと思うんだが・・・。余りにも不自然すぎる。

不自然といえばもう一つ。キハ27の運転席の無い側に、ディーゼル機関車に取り付ける除雪ヘッドが付いているってのも(汗)

運転室はこの時は鍵がかかっておらず、自由に入る事ができる状態。つい童心に戻って、運転席に座ってレバー類をガチャガチャしてしまったのでした(^_^;)

ちなみにこのキハ27の中は座席が半分撤去されて畳敷き、つまり簡易宿泊施設になっている。駐車場もあるし綺麗なトイレ(もちろん水洗)もある。買出しは小さな商店が近くにあったような記憶があるし、国道に出れば自販機もある。雨の日は助かるだろう。

昨年はこのキハ27がライダーハウスになっていると知らなかったので、近くにある旅宿「ひなた母校(ひなたぼっこ)」まで必死こいてスカイウェイブを押して行ったのだが、今考えるとそれはそれで正解だったような気がする。そのお陰で翌日は同宿の方に名寄まで送ってもらえた訳だし。

すぐ横は芝が敷かれた公園。最初はキャンプ場かと思ったが、パークゴルフ場との事。結構手入れはされているほうで、キハ27も塗装の塗り直しが行われているし、トイレも定期的に清掃が入っている(昨年はちょうど清掃中で、終わるまで外でちょっと待った)。

小規模な鉄道資料館としては、管理が行き届いているほうかもしれない。

旧JR深名線駅跡を巡る

天北峠を越え、名寄から再びR40を南下して士別からR239経由でR275へ。並行していた旧JR深名線の駅跡を巡ってみた。

■旧政和駅跡

旧政和駅は、駅舎はそのままで今は食堂になっている。

目的は違えど、まだ使われている事は喜ぶべき事だろう。使われていれば建物自体も当然手入れされるわけで、少なくとも放置されて倒壊するよりはずっとマシである。

外観も壁にトタンが張られた以外は駅時代そのままの形を保っている。駅前もロータリーの中心にあったであろう塔がそのまま残っている。

食堂の裏手には、僅かながら路盤跡が残っている。右写真を見ると森の写真中央付近だけ木が無いが、その部分がかつての路盤跡で、ちょうど私が立っている場所に線路が通っていた。

すっかり藪化して藪の無い所にもドラム缶やら何やらが放置されているような状態だが、1995年つまり13年前まではここは現役路線だったわけだ。

しかし人口が絶対的に少ないせいか、周囲には活気が感じられない。深名線は民家もまばらな区間を延々走っていたわけで、日本屈指の赤字ローカル線だった事が納得できる。

■第三雨竜川橋梁

深名線の遺構の中では、有名なほうではないだろうか。パッと見は単なる鉄橋であるが、実は深名線建設で最難関工事だった橋。現在は土木工学的・歴史的に価値が高いとして、保存の為に整備・管理されている。

昭和3年着工・同6年竣工で、全長は100.97m。中央部は全長45mのトラス橋、その両端には明治32年にイギリスから輸入された桁橋が組み合わされた構造になっている。

地形の関係で架設に伴う足場の構築が困難だった為、北海道では初めて「吊足場式架設工法」という方法が取られたとの事。しかも完成当日に工事の指導に当たった人が、最後の作業を終わらせた次の瞬間に大勢の作業員の目前で転落死したという。(現地案内看板より)

昔の北海道の鉄道・道路工事では、囚人労働やタコ部屋労働による犠牲者が多数に及ぶ事は知っている人も多いと思うが、犠牲者の個人名で石碑が建てられているのはここを含めてそう多くは無いと思う。

犠牲者の立場の違いによって扱いに大きな差があるのは何だかなぁ・・・という気がしないでもないが、そういった犠牲の上で今の生活環境がある、という事を知らしめるという点ではこういった石碑も意味があると思う。

ちなみにこの橋梁は国道からも良く見えるのだが、朱鞠内方面から南下する場合(橋梁が国道の左側になる)、走るのに夢中になっていると見落とす可能性があるので注意。深川方面から北上する場合は視界に入るので、見落としは無いと思う。

■旧幌加内駅跡

左写真を見ての通り、幌加内駅跡は今は残っていない。と言うのも、幌加内駅の駅舎は深名線が廃止された5年後の2000年(平成12年)3月に火災により焼失したからである。

ちなみに出火原因は、Webで調べた範囲内では「事務所内で放置されたバッテリーからの漏電」らしい。

下り線ホームと駅前ロータリーは残ったが、それも2002年には道路工事の為に整備されて消滅。モニュメントだけが設置された。

ただ、現役時代の写真が掲載されたWebサイトを見て回っていると、このモニュメントのある場所は幌加内駅舎のあった場所とは少しズレているようだ。どうでも良い事だが、個人的にはちょっと残念。

モニュメントを残すなら、本来の位置に残ったホームを使うとかすれば、より記念になるような気もするのだが。整備されすぎてしまって、今ひとつ気分が乗らないと言うか・・・。

ちなみに国道沿いのバスターミナル内に資料館があるのを知ったのは、帰宅してから。幌加内蕎麦を食べなかった事も含め、ちょっと後悔しています。

今年も「旅の途中」へ

幌加内駅跡を出発してからは、北海道内最終夜の定宿「旅の途中」まで走るだけ。ルートは完全にカーナビ任せだったが、道道72号線で峠を越えた後は春光台から旭川市街地を抜けて上富良野だったので、全然新鮮味が無かった(苦笑)。

美瑛に来る頃にはメジャー観光地ゆえ交通量が多くペースがガタ落ちだったが、真っ暗になる前に何とか到着。

宿主toshiさんに挨拶しつつ荷物を部屋に入れ、久しぶりに風呂に入る(釧路と網走ではシャワーだけだったので)・・・が、湯に浸かると両足のふくらはぎが妙にピリピリする。良く見ると、両ふくらはぎだけ日焼けしている(汗)。腿とふくらはぎで見事に2トーンカラーになっておりました。

どうやら旭川でのチャリツーリングで焼けたらしい。その事を同宿の方に話したら・・・笑われてしまいました(^_^;)

そして今夜の夕食は、ラムしゃぶっ!

実は私、これがラムしゃぶ初体験だったんだけど、いや〜、箸が進む進む。サッポロクラシックを片手にラムしゃぶ、そして同宿の人達との楽しい語らい。私は基本的にキャンプ派だけど、たまにはこうした宿に泊まるのも良いと改めて思う。今回は宿ばっかりだけど(汗)

9時過ぎから大部屋で語らいの時間。今夜はお客さんのほとんどがライダーで、後は車の人が私を含めて二人、中国人女性が一人といった面子。男女比は、男性7名女性3名。

で、同宿の女性からいきなり「NOBUさんでしょ?」と声をかけられた。「え?」と思い顔を良く見ると・・・以前からの知り合いの「かおり」さんだった。しばらく会っていなかったので気が付かなかった。いや、正確に言うと、「どこかで会った事があるような・・・」と思っていたのだが、もし違っていたら失礼だし、自信が無かったのだ。

良く考えたら愛車がBMW・F650(しかもバリバリのオフロードタイヤを履いている)だったので、その時点で気が付くべきだったのかも(汗)

まぁ何にせよ、toshiさん自作のコーヒー焼酎を飲みながら、即席中国語講座を交えつつ楽しい語らいのひと時を過ごしたのでした。

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