キャンプ旅に行こう 2008年夏・北海道旅日記です。
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2008年夏 北海道の旅

8月12日

初めての北海道チャリツーリング

チャリツーリングと言っても、今回は整備されたサイクリングロードを走るだけなんだけど(汗)

起床後は朝食をとっとと済ませ、準備に取り掛かる。飲料水と工具、着替えをリュックの中に入れて、チャリ本体も簡単に点検した後、駐車場に止めてあるデミオ君に積んであるエアポンプで改めて目一杯タイヤに空気を補充する。

自転車は乗り手自身の脚力が推進力なので、ちょっとした走行抵抗の増大が乗り手の体力の消耗を増加させてしまう。タイヤの空気は親指で力一杯押してもほとんど凹まないくらい圧を高めにしておいた。

とりあえず旭川新道に降り、春光台トンネルを抜けてR12に出る・・・が、サイクリングロードの場所は分かるのだが、どこから入って良いのか分からない。TMにはサイクリングロードは載っていないし。

仕方なくコンビニで旭川市内の地図を購入、それを見ると・・・市街地まで戻らなきゃならない事が判明(悲)。バイクなら気軽に戻る事ができる距離なのだが、自転車の場合はかなりの負担。

しかしそうも言ってられないので、仕方なく市街地方面に向かってペダルを漕ぐ。事前調査不足を露呈してしまったのでありました・・・(汗)

その後地図を見ながら住宅街をウロウロし、近文駅近くからようやくサイクリングロードに入る事ができたのだが、その時点でキャンプ場を出発してから既に一時間が過ぎていた。

初っ端からかなり体力を使ってしまった・・・(-_-;)

旭川サイクリングロード

とりあえずの目的地は、神居古潭(カムイコタン)。

このサイクリングロードは、JR函館本線の旧線跡を整備したもの。ちなみに函館本線旧線は石狩川に沿って敷設されていて、納内駅〜伊納駅間のトンネル化&複線化に伴って廃止になった。

ただし、上写真の部分は確かに平坦でカーブも緩やか、道幅も単線の線路なら通す事ができるのだが、余りにも整備されすぎているのと現函館本線からちょっと離れているので、旧線跡では無くて単なる堤防道路かもしれないが。

何はともあれ、ペダルを漕いで先に進む。やがて現函館本線のすぐ脇を並行する事になるが、ここまで来ると旧線跡の雰囲気が濃厚になってくる。まだ午前中の早い時間のせいもあってか、利用者はまばらで快調に走る。元々線路があっただけにアップダウンは少なく、カーブも緩やか。時折すぐ脇を駆け抜けていく列車を見ながら、ペダルを漕ぎ続ける。

やがて右前方に伊納駅が現れる。

無人駅で、待合室に車掌車を改造したものが使われているのは特に驚かなかったが、その待合室が旧線上に置かれており、しかも旧線の線路まで残っているのには驚いた。

しかも、旧線のポイントや踏切まで残っている(苦笑)。左写真の踏切、渡った先は現函館本線の築堤にぶち当たっているだけ(築堤上は現伊納駅ホーム)で、全く意味の無い存在。さすがに遮断機こそ無いものの、警報機と付帯設備はそのまま。もちろん動作しないと思うが。

何か目的があって残しているのか、それとも単に撤去費用面の問題で残っているのかは分からないが、ここまでいろいろ残っていると、逆に潔いというか何と言うか。ちなみに写真には写っていませんが、道の反対側には旧伊納駅のホームまで残っていたりします。

ここを過ぎると、サイクリングロード周辺は風光明媚な景色になってくる。

かつてSLが走った場所を、自転車で駆け抜けていく。左手には石狩川が流れ、周囲の木々が作り出す日陰が心地良い。

この道が鉄道だった頃は車窓からの眺めが乗客を楽しませたというが、今は長大トンネルで外の景色を見る事無く直線的に駆け抜けてしまう。

でもまぁそのお陰で、こうしてゆっくりと景色を楽しみながらチャリで走れるのだが。

やがて、前方にこの道がかつて鉄道であった事を示す構造物が現れる。そう、トンネルである。

自転車道としての安全性を確保する為か、本来のトンネルに分厚いコンクリートの内巻きが施されている。

個人的にはせっかくの鉄道遺構に何て事を・・・と思ってしまうのだが、前述の通り安全性の確保それから保守点検の手間と費用の低減の為でもあるのだろう。

しかしせっかくの産業遺産なのだから、本来の内壁のままで補強等を施して残しておいて欲しかった、というのが本音。興醒めと言うか何と言うか・・・。

内部は感知式の照明設備が設置されているが、白色LED照明だった。これも保守点検の手間と費用削減を狙ったものなんだろうけど・・・明るさ自体はイマイチだったりして。よって、トンネル内では前照灯の点灯が必須になる。

春志内休憩所

更にペダルを漕いで先に進むと、休憩所付きの広場が現れる。春志内休憩所である。

ここだけ路盤跡も広くなっているので、最初は駅があったのでは・・・と思ったが、駅があった痕跡は無いし周囲は人家など全く無いし、休憩所を作るに当たって整地したのか? 等と思いを巡らせながら、とりあえずチャリを止める。

旭川から走ってくるなら、距離的にちょうど良い場所にあるな・・・等と考えながら大休止。雨でも屋根付きの休憩所はあるしトイレもあるし、一番近い車道は石狩川を挟んだR12だけだし、静かで昼寝するにも良いかもしれない。ただし飲料水等を買出しできるような場所は付近に全く無いけど・・・。

30分ほど休憩した後、出発。神居古潭まであと5kmだ。

ちなみに後で調べてみたら、ここはやはり春志内信号場の跡地だった。新線開通後に廃止になったとの事。客扱いが無かったので、ホーム等の遺構も無かったと言うわけ。

神居古潭

神居古潭は一般的に景勝地として知られている。石狩川が流れる渓谷にあり、川幅が狭まって流れが急になっており、最深部は70mを超えると言われている。語源はアイヌ語で「カムイコタン=神の住む場所(村)」という意味。他にも、心霊スポットとしても知られていたりする(^_^;)

で、旭川サイクリングロードで神居古潭・・・と言えば、有名なのは旧神居古潭駅舎。

左写真がその旧神居古潭駅舎なんだけど、逆光になってしまって影の部分が真っ黒に潰れてしまったので、かなり明るく補正をかけています。

現地の案内看板によると、神居古潭駅は明治34年に神居古潭簡易停車場として設置。同36年に一般駅に昇格、現在の駅舎は明治43年に建設され、大正〜昭和初期に1回もしくは2回の増改築が施されたとの事で、平成元年に復元工事が行われているが建設当初の遺構は良く残されているとの事。

明治期の意匠を色濃く残す希少建築物として、平成3年に旭川市の文化財に指定されている。

ただ、Web上で見た記憶があるのだが、駅舎自体は元の場所から少し移動しているらしい。真相はどうなのか、これを書いている時点では今ひとつはっきりしていないが・・・。

心霊スポットとは言え、天気の良い真昼間では怖さなど全く無い。駅舎・サイクリングロードの管理しているオジサンはいるし、サイクリングロード利用者も通るし、観光客の姿もちらほら。

また、駅舎以外にも対向式のホームも残され、駅名票も残っている。が、石狩川側のホームは痛みが激しく、崩壊の危険がある為に立ち入り禁止になっている。

で、駅名票の脇には付近の名所案内の看板もあったのだが、見ると「神居古潭竪穴住居遺跡」、「神居古潭ストーンサークル」等。結構興味を引かれたが、今回は体力温存(?)の為に止めておいた。

で、駅舎脇には3両のSLも展示されている。展示されているのは9600型、C57型、D51型で、どれも日本で代表的なSLである。

以下は3両の簡単な説明。興味の無い方は読み飛ばしてください。画像クリックで大きな画像を表示します(別ウィンドウ)


29638(9600型239号機)
9600型は国産初の貨物用蒸気機関車で、大正2年から15年の間に770両が製造された(生産両数はD51型に次いで多い)。中型機ながら3000トンの超重量級貨物列車の牽き出しが可能という優れた牽引性能、そして使い勝手が良く替わりになる機種が少なかったという事もあり、大正生まれながらも国鉄SL時代の最後まで現役として稼動し続けた、最も長寿命な形式となった。この29638は1912年製。総走行距離は2,321,407km。

C57 201
旅客列車用SLとしては代表的な形式で、全長の割にスレンダーなボイラーを持つ事から、「貴婦人」の愛称でも呼ばれている。製造年は昭和12年〜22年。性能が良く保守性も良好、信頼性が高かった為に多くがSL終末期まで生き残った。現在は1号機と180号機が動態保存されている。この201号機は1947年製で、総走行距離2,213,717km。C57型のラストナンバー機。

D51 6
ご存知SLの代名詞「デゴイチ」ことD51型。昭和11年〜20年の間に1115両も製造された、もっとも量産されたSLである。生産両数が多かった事もあり、日本各地でその姿が見られた。保存されている車両も多く、トップナンバー機(1号機)を始めとして178両が静態保存、200号機と498号機が動態保存されている。この6号機は最初期型で、煙突から後方に伸びる砂箱等を覆うカバーが特徴。俗に「ナメクジ」と呼ばれ、初期型の特徴になっている。昭和11年製で、総走行距離は2,213,718km。


一通り見て回った後、この後どうしようかちょっと考える。

サイクリングロードはまだ先に続いているが、距離的にそう長く無さそうなので引き返す事にする。体力を消耗する分疲れが出るはずなので、早めにキャンプ地へ戻る事にした。

帰路も順調にペダルを漕ぐが、やはり体力の消耗・・・と言うより歳と運動不足から来る疲れが早くも露呈(汗)。ちょっとした登りもゼーゼー言いながら走っている有様。

本格的チャリツーをするには、まだまだ鍛錬が必要なようだ・・・。

川村カ子ト(かねと)アイヌ記念館

川村カ子ト氏は、鉄道測量技手(ぎて)として北海道各地の鉄道建設に活躍した他、現JR飯田線の母体となった四つの私鉄の一つ、三信鉄道の建設に多大な貢献をした人物。

四つの私鉄の中でも一番の難工事区間だった三信鉄道(三河川合〜天竜峡間)の測量を行ったのが川村カ子ト氏以下アイヌ人の測量隊であった。

中央構造線による脆い地質と急峻な地形、鬱蒼とした原生林に日本人測量技師達がお手上げ状態の中、木の枝のしなりを利用したり命綱を巧みに操りながらの移動は、アイヌ人測量技手の独壇場だったという。

しかも測量機器の持込が困難な場所では手を使った目測による測量も行い、これが正確であったと言う。

これらを見せ付けられた日本人技師の妨害に合いながらも、困難な測量を成し遂げた後は現場監督として工事を任された。工事中に工夫達の反乱に合い、危うく命を落とすところだったが、工夫たちを説得して工事を継続、完成させた。

ここも以前から気になっていた所だったのだが、今回は移動手段が小回りの効くチャリだし、ちょうど良い機会という事で立ち寄ってみた。

ここには、かつてのアイヌ民族の生活・文化に関する展示が中心であるが、川村カ子ト氏の記念館である事から飯田線関連の資料も展示されている。

当時の測量器具や行先表示板などが展示されているが、北海道に居ながらにして普段馴染みの深い駅名等の表示板があると、妙に親近感を覚えてしまうというか何と言うか。

記念館の隣には、アイヌ工芸品等を販売する土産屋が3件ほどあるので、とりあえず立ち寄ってみた。立ち寄ったのは川村家で運営している土産屋さん。

店番のおばちゃんと話をしながら、(自分向けの)お土産をいくつか購入。今回はチャリでの訪問なので、あまり大きな土産は買えない。という訳で、蝦夷鹿の角で作ったペーパーナイフ&木彫り細工の施された箸&携帯ストラップ等を購入。



記念館横のラーメン屋で昼食を済ませキャンプ場に戻るが、キャンプ場は春光台という文字通りの丘の上にあるので、旭川新道から先の登りは延々押し歩いたのでした・・・。

その後はキャンプ場でまったりゴロゴロ。買出しはまだ明るいうちに済ませて日が沈む前からビールを飲んで、明日の予定を考えながらのんびりしてました。

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