キャンプ旅に行こう 2003年の九州・四国ツーリング旅日記です。
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2003年GW 九州・四国ツーリング

4月29日

朝5時半、目覚まし代わりに設定しておいた携帯電話のアラーム音で目が覚める。テントの外に出てみると、空は快晴。今日も暑くなりそうだ。しかし九州の4月末とはいえ朝の気温は低く、少しばかり肌寒い。

昨日買っておいた缶コーヒーを温めて目覚めの一杯。同じく朝食用で買っておいたパンを食べようかと思ったが、イマイチ食欲が無かったので結局食べなかった。

6時半、撤収開始。テント内の荷物をまとめ、キャンプ道具をパシコに積み込む。

フライシートを外してみると、内側が湿気でビタビタ。フレームを外してその上にかけてしばらく干すが、気温があまり高くない事もあってか、なかなか乾かない。仕方が無いのでタオルでできるだけふき取って畳んでしまった。

パシコも夜露でビタビタになっていました。結構冷え込んだようです。

7時過ぎ、人吉クラフトパーク石野公園を出発。キャンパーは少なかったものの、まだ寝ている人がいるようだったのでサイトの外まで押していき、少し離れた所で暖機。

まずはR221をえびの高原方面に南下すると、程なくループ橋が見えてくる。人吉ループ橋だ。車の流れに乗って一定のバンク角を保ってグルッと回るが、こういう長〜いコーナリングは普段あまり機会が無いせいかちょっと新鮮な感じ。

人吉ループ橋です。高低差を稼ぐ為にこうなったんだろうけど、ぐるぐる回るような感覚は結構新鮮。

R268に出て、県道30号をえびの高原に向かって駆け上がっていく。つづら折れの坂が続くが、なかなか楽しく走れる道だ。時々ステップをガリガリっと擦って「おっとっとぉ」。

上りきったところで一服。バイクは意外に少ない。親子とカップルのタンデムが各1台ずつ。時間が早い事もあるんだろうけど、以外に交通量が少なくて静かだった。

県道1号を霧島方面へ下っていく。バスの後ろについてしまったが、途中で譲ってくれたので一気に国道まで走る。途中、噴気孔があったりして硫黄の匂いが立ち込めているところも。

R10に出て鹿児島方面へ。

しかし、鹿児島市街地に近づくにしたがって渋滞が。R225に入ると走行ペースがガタ落ちになり、なかなか距離を稼ぐ事ができない。すり抜けもままならず、ノロノロと進んでいく。

途中、とある駅に立ち寄って入場券を購入。再び混雑の中へ。

しかし途中でいよいよ我慢できなくなって(何と言っても暑いのと、人車とも都市部は苦手なもので)、谷山ICから指宿スカイラインに入る。こちらは交通量がとても少なくて快適。

快適なワインディングが続き、楽しいことこの上なし。交通量は、たまに対向車とすれ違うだけ。追い越しもしなかったしされもしなかった。料金も安め(谷山IC〜知覧IC間は二輪車で260円)だし、指宿方面に行くのならR226よりおすすめ。17km程を楽しく駆け抜け知覧IC似て降り、平和公園に向かう。

知覧の町並みは、武家屋敷に習ってか歩道と車道の間に石灯籠がいくつも置かれている。また町自体が非常に綺麗な印象。もちろんゴミの類がまったく見当たらない事もあるんだけど、それだけじゃない。他の町とどこが違うのか・・・。

市街地を通り抜ける寸前にそれに気がついた。何に気が付いたのかと言うと、「電線と電柱ががほとんど無い」のである。

もちろん電線が全く無いわけじゃない。しかし、少なくともメインストリート上には無い。電線と電柱が無いだけでこれだけ町並みが綺麗になるものとは今まで思わなかった。電力会社が自主的にやるとは思われないので、おそらくは条例か何かで決まっているのだろう。

電柱と電線で各家庭に配電するのは、コストを抑える為だと言う話を聞いたことがある。しかし、それと引き換えに景観が失われてしまう。そして、ほとんどの日本人は、景観より低コストで便利な生活をすることを選んだ。

これが良いのか悪いのかは一概には言えないと思う。立場にもよるからね。しかしこれによって、日本はどこに行っても似たり寄ったりの街ばかりの国になってしまったと思う。日本のあちこちを旅した事のある人ならわかると思うけど・・・。

閑話休題。

平和公園は混雑していた。係員の指示に従ってバイクを止め、公園内を歩き始める。

ここは私がまだ幼い頃、親に連れられて来た記憶がある。当時の記憶は閑散とした感じだったように記憶しているが、今は大規模な記念館が数件建てられ、駐車場の横には食堂やみやげ物の店が何件も。とにかく、昔の記憶とはぜんぜん違っていた事だけは確かである。

公園内には屋外に飛行機が展示されてますが、これは戦闘機ではなく二人乗りの練習機。実物大模型ではなく、実機です。

かつて航空自衛隊が使っていたもので、昭和52年に知覧町が借受けて展示してあるもの。この大きさで機体重量は1950kgしかありません。
かつて、全国各地から集められた(樺太や現在の韓国からも集められたそうです)兵士達は、この「三角兵舎」でわずか数日間だけ過ごし、出撃して行ったそうです。出撃前夜はささやかな飲み会があったという事です。

兵舎の中は真ん中に通路、両側に寝床となる一段高い板の間があるだけの簡単な作りです。

記念館内は特攻隊員たちの遺品や戦闘機(本物)が展示されている。隊員達(写真もある)が残した肉親に残した遺書・絶筆・遺品を見ると、心臓を鷲づかみにされているような感じがした。どんな気持ちで遺書を書いたのだろう。どんな気持ちで出撃前夜の夜を過ごしたのだろうか・・・。

特攻で戦死した中で一番若い隊員は17歳だったと言う。今からではなかなか想像できない。

今は先日のイラク戦争にも見られたように、公然と戦争に賛成する人が出てくる時代である。戦争賛成派の人達の中で実際に戦地に赴いた人(軍人は除く)はほとんどいなかったように記憶しているが、反対派の人は戦地に実際に何人も赴いている。人間の盾というやつだが、反対の表現方法や結果はともかくとしても、安全な場所で戦争に賛成している人より遥かにマシな気がするのだが・・・。

今回のイラク戦争が歴史的にどうだったのかなんて、今生きている私にわかるはずも無い。でも、戦争というものが勝っても負けても後の世代の人達に悪い方向で影響を与えてしまうのは確かだと思う。今の日本と周辺国がいい例だ。

つくづく人間と言うものは進歩の無い動物だと改めて思いつつ、バイクの止めてある場所へ戻る。ちなみに館内は写真撮影は禁止なので、見たい方は実際に行ってみてください。

見学後、今後の予定を考える。ここに来た時点ですでに12時を回っている状態だったので、長崎鼻は今回はあきらめる事にした。桜島も行く予定だったがここもパスし、最短距離で大隈半島に渡れる鴨池港から垂水港までフェリーを使う事にした。

再び知覧ICから指宿スカイラインに入る。来た時と同じように楽しく駆け抜ける。途中の休憩所(下の写真の場所です)でタイヤをチェックしてみたら、前輪の接地面が部分的に溶けたような感じになってました。ちょっと楽しみすぎたかな?(^_^;)

指宿スカイラインにある休憩所にて。

ちょっとわかりにくいですが、遠くに見えているのは桜島です。

谷山ICで降りてR225へ。鴨池港に着くと、係員の人からそのまますぐに乗るように指示された。「受付は?」と聞くと着払いとの事。私が最後の乗客だったようだ。

フェリー船上から見た桜島。

本当はグルッと一周してみたかったんだけど、今回は時間的都合で残念ながらパス。

約35分間の航海中、佐多岬までの所要時間を予想するが、どうも夕方になりそうだ。何しろ走行ペースが遅くなってしまうので距離が稼げない。

垂水港でフェリーを降りる。料金の支払いは高速等の料金所と同じでウォークスルー方式だった。1日に何往復もするフェリーだから、このほうが効率的。思わず納得。

案の定、フェリーを降りてからはゆっくり走る車を先頭にパレード状態になってしまう。追い越すにも前に車が何台もいて、しかもイエローラインだ。こう言うときに限って赤信号で先頭になかなか出られないし・・・。

やっと先頭に出られたと思ったら、前方脇からサイレン&パトライトを消した救急車が。何かと思ったら「ただ今、乾燥注意報発令中ー」という広報を流してゆっくり走り始めた・・・。

根占町あたりからやっと順調(?)に走り始めるがすでに時遅し。時刻は午後4時を回っている。疲れてきていたし今日は無理して佐多岬に行くのは止めて、今夜の寝床を確保する為の動きを始める事にした。

佐多町市街地で旅館を見つけたが入口に鍵が。仕方が無いので近くの商店で聞いてみたら、佐多岬ロードパークの入口近くにホテル、あと民宿が数件あるとの事。

県道68号を岬方面に行き、ロードパーク入口料金所脇の道路を入っていくとホテルが。フロントで泊まれるかどうか聞いてみるとOKとの事で、本日の宿泊場所決定。

部屋に入って一息入れベランダに出てみると、なかなか良い景色だ。左に漁港、右には砂浜が広がる。砂浜には東屋らしきものがあり、もしかしたらTMに載っているキャンプ場なのかな? 晴れてたら快適なキャンプができるかも。

ホテルの横に広がる砂浜。左端は東屋らしき建物もあり、狭いながらもキャンプ場っぽい。

明日は佐多岬に行った後、日南海岸経由で北上を始める予定。はてさてどこまで行けるだろうか?

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