2006年GW・沖縄ツーリングの旅日記です。 | |
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2006年GW 沖縄の旅5月4日 その1昨夜はどうも調子に乗って泡盛を飲みすぎたらしい。沖縄ツーリング本格稼動初日から、いきなり二日酔い・・・。こんな事は初めてだ。とりあえずムカムカする胃袋を水分でなだめつつ身支度を整え、午前9時少し前に宿を出てレンタルバイク屋へ徒歩で移動。時間に余裕があったので、散歩がてら寄り道をする。 波の上ビーチ波の上ビーチは地図を見ると分かるけど、那覇市街地のすぐ横にある。名前の由来は、すぐ横に「波の上宮」という神社があるからなんだけど、実は砂を運んできて作った人工ビーチ。砂浜からの景観は、目の前に高架道路があったりゴルフ練習場があったり、海に向かって右前方には那覇新港があったり、後ろを振り返ると那覇市街地の建物がすぐそこにあったりと決して褒められるものではない。 しかし、内地のどこの海水浴場より水が綺麗なのではないだろうか。ここより綺麗な海水浴場といったら、沖縄本島の有料のビーチとか八重山を始めとした離島に行かないとお目にかかれないでしょう。 砂浜もゴミは少なく、こんなに綺麗な海水浴場が歩いて行ける所にある那覇市民が非常に羨ましい。海の無い長野県に住んでいると、海水浴というのは行くのに気合と根性が必要な、疲れるレジャーの筆頭なんですよねぇ・・・。 その後レンタルバイク屋にて今回の旅の相棒である、スズキ・スカイウェイブ400(以後スカブと省略)を受け取り、沖縄ツーリング本格稼動。 今日は走り出しが遅かった分、時間に余裕があまり無いので近場から回る事にし、初めての中型スクーターの感触を確かめつつ、まずは首里城公園に向かう。 首里城公園の周囲には有料駐車場がいくつかあるが、最初は歩道の片隅に置かせてもらおうかと考えていた。しかし、誘導員のおじさんに「盗難やいたずらの恐れがあるから、駐車場に入れたほうがいい」と言われ、有料駐車場の一つ(バイク駐車料金200円)を紹介された。そこにスカブを止め、駐車場から一番近い玉陵に向かう。 玉陵(たまうどぅん)玉陵は首里城公園の中にある、琉球王朝・第二尚氏一族の墓。築かれたのは1501年。墓室は中央に「中室」、左に「東室」、右に「西室」と三つある。東室は王と王妃が葬られ、西室には墓前にある「玉陵碑」に刻まれている限られた家族が葬られている。 内地の陵墓と違うのは、葬られる時に「洗骨」という工程があること。まず遺体を中室に入れ、骨になるまで数年間安置する。その後骨を取り出して洗い清め、骨壷等に移し替え、改めて納骨される。 第二次大戦で大きく破壊されてしまったが、3年がかりで補修復元工事が行われ、現在の姿になっている。 陵墓の前に立つと、その存在感に圧倒される。 復元されたものとは言え復元工事からもかなりの年月が経過しているわけだし、1501年に建設された当時のままの部分もかなりあるわけで、当時の建築技術の高さが窺い知れると同時に、国王の権力がいかに大きいものであったかもわかる。 横にある資料館(200円)では、陵墓内部の写真や葬られている人の名前・系譜や戦前の玉陵の写真、そして洗骨の儀式などの写真も展示されている(1900年代始めにも、ここで王族の葬儀が行われたらしい)。
※第一尚氏・第二尚氏
琉球王朝は三山時代以降は尚氏が治めてきたのですが、大きく二系統あります。第一尚氏は琉球統一を果たした尚巴志(しょうはし)の流れを汲む系統ですが、7代・64年間で幕を閉じてしまいます。 その後、6代目国王の家来であった金丸という人物が周囲の推薦を受け国王に就任、第一尚氏の血縁関係という事にして、名前も尚円と改名して冊封(さっぷう:当時アジアの強国だった中国に琉球国王であるという承認をもらう事)を受けて、以後は廃藩置県にまで至るまで第二尚氏の系統が続きました。 首里城沖縄でもっともメジャーな観光地といえば、ここ首里城だ。観光客も多く、その中にまぎれて守礼門(昔は待賢門と呼ばれていた)に向かって歩く。さすがにここではカメラを構えた観光客がわらわらといる状態。というわけで、私もその一人になってカメラを構える。 実は守礼門の前では、美らさん(ちゅらさん)が一緒に写真に入ってくれるサービスがあって、沖縄美人が何人も民族衣装を身にまとっていた(内地の人も結構いるらしいのだが)。 私も声をかけられたんだけど・・・ちょっとこっ恥ずかしくて断ってしまったんですよねぇ(^_^;) 今にして思えばやっぱり撮って貰っておけばよかったかなと思ってます。はい。 守礼門をくぐると、すぐ左に石の門がある。これが、園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)。 園比屋武御嶽は国王が各地を巡行する時とか、聞得大君(きこえおおきみ)が斎場御嶽(せいふぁうたき)で即位式をする時にまずお参りしたところ。 ちなみにこの門が御嶽ではなく、門の後ろの森を含めた全体が園比屋武御嶽で、石門は礼拝所といったところ。この石門も戦争で一度破壊され、復元されたもの。 聖域とは言え、観光客の雑踏とタクシーが行きかう道の脇にあるという環境では、神聖な場所という感覚が今ひとつ得にくいのも確か。
※御嶽
うたきと読みます。神に祈りをささげる礼拝所なのですが、神が降りてくる神聖な場所でもあります。同じような場所に「拝所」というものもあるのですが、こちらは単に祈りをささげる場所のようです。御嶽は沖縄各地に無数といっていいほど存在します。 勘違いの無いようにお願いしますが、御嶽も拝所も基本的に現役です。遺跡ではありません。有名な場所は観光地化されていることが多いのですが、現役である以上礼拝に訪れる人もおられます。従って、祈りをささげている人がいる場合は、邪魔にならぬようにしましょう。 ちなみに、沖縄においては神事は女性が主役です。中には男子禁制の御嶽もあります(久高島のクボー御嶽など)。 ※聞得大君(きこえおおきみ) 沖縄のノロ(内地で言う巫女)の最高位に位置し、時には国王を超える権力があったと言われている。 歓会門、瑞泉門、漏刻門、広幅門をくぐりながら登っていくと、広場に出る。ここは下之御庭(しちゃぬうなー)という場所らしい。 その片隅にいくつかの木々が塀で囲まれた場所がある。これが首里森御嶽(すいむいうたき)。沖縄七御嶽の一つで、特に大事な場所と言われているらしいのだが・・・やはり観光客の雑踏の中では聖域という雰囲気はどうしても薄らいできてしまう。 ちなみに、首里城の中に首里森御嶽を作ったのではなく、首里森御嶽のほうが先にあり、首里城のほうが後で作られました。一応念のため・・・。 ※沖縄七御嶽
琉球開闢(かいびゃく)神のアマミキヨが作ったとされる御嶽。
ここから先は有料エリアなので拝観料を払って奉神門をくぐる。すると、目の前には首里城正殿が。内地の城と違い中国の影響を受けて真っ赤に塗られているせいか、とても華やかだ。 もっとも、首里城は第二次大戦で完全に破壊されてしまったので、今の正殿は戦後になってから戦前の写真や修理記録や地元のお年寄りの記憶を元に復元されたものである。 もちろん中にも入ってみたのだが、窓が小さいせいで昼間なのにとても暗い。他の観光客にまぎれて順路通りに歩く。 中は資料館になっており、中国ととの交流など活発に外国(日本を含む)との交流があったことが分かる。 当時の琉球国王はアジアの強国であった中国に、国王である事の承認を受ける事で独立を保っていた。屈辱的な事ではあるのだが、その代わり中国を始めとした外国との貿易をする事で国の大きさの割に豊かであったようだ。名を捨てて実を取っていたと言うべきか。当時の琉球国民のしたたかさが伺えてくる。 旧陸軍司令部跡歴史文化遺産である首里城は、第二次大戦で徹底的に破壊されてしまった。奈良や京都の寺院が爆撃の被害をほとんど受けなかったのに対して、なぜ首里城は破壊されてしまったのか。それは、旧日本陸軍の司令部が首里城の地下、それも真下にあったからである。 司令部跡は、園比屋武御嶽石門から歓会門方向には行かずに左方向に行き、左手に見えてくる階段を降りた所にある。 1トン爆弾や戦艦の40センチ(サンチとも言う)主砲の砲撃にも耐えられる構造になっていたという壕は、真っ暗な口をあけて静かに佇んでいた。ここを陥落させる為に、米軍は天文学的な数の爆弾と艦砲射撃を打ち込んだのである。 観光客の雑踏で溢れかえる首里城とは打って変わって、すぐ横にあるここを訪れる人はほとんどいない。ガイドブックに取り上げられる事が少ないからかもしれないが・・・。 恐る恐る中を覗き込んでみるが、中は土砂で埋まり内部をうかがう事はできない。当時はこの中に立てこもって迫り来る米軍に徹底抗戦をしていたのだが、どんな気持ちで戦っていたのかは戦後を生きてきた私には当然うかがい知る事などできない。 沖縄は、本土進攻を少しでも遅らせる為の捨て石にされてしまった。その為に軍人はもちろん、民間人も多数の死者を出してしまった。沖縄戦の詳細はここでは省くけど、それが現在も基地問題という形で尾を引いているような気がする。実際、在日米軍の大部分が本土から遠く離れた沖縄にあるわけだし。 沖縄というとマリンレジャー・マリンスポーツやグルメといった事に話題が集中する。しかし、私はそれだけでいいの? と思ってしまう。 昨年の北海道でもそうだったけど、もっと暗い面にも目を向けたほうがいいのではないかと思うのだが・・・。 確かに今はリゾートを初めとした観光立県ではあるけれど、それは沖縄のほんの一部分にしか過ぎなかったりするんです。 [ 5/3 | 5/4 その1 | 5/4 その2 | 5/5 その1 | 5/5 その2 | 5/6 その1 | 5/6 その2 | 5/7 ] |
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