キャンプ旅に行こう 2006年GW・沖縄ツーリングの旅日記です。
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2006年GW 沖縄の旅

5月6日 その1

周りの人が寝静まっている中、今日も朝6時過ぎにスカブのエンジンをかける。今日は、沖縄本島をちょっとだけ離れる予定だ。しかし、その前に行ってみたい所があった。

真玉橋(まだんばし)

R329と同バイパスの間の国場川にかかる、何の変哲もない橋。それが真玉橋(まだんばし)。

ここには、「七色ムーティ」という伝説が伝わっている。劇にもなっているので知っている人もいるかと思うけど。

伝説(劇化されたもの)の概要

1522年に架けられた真玉橋は、木造橋だった為に大雨の度に崩壊してしまい、1707年に石造りの橋に架け替えられる事になったが、それでも大雨の度に流されてしまい、人々は困っていました。

そこへ一人の女性が、「夢で『子年生まれで七色ムーティー(七色元結)をした女を人柱に立てれば、橋を架ける事ができる』という神のお告げがあった」と役人に進言。役人は村の女性を調べてみたが、七色元結をした女性はいなかった。そこで、進言してきた女性を調べたら、その女性自身が子年生まれで七色元結をしている事が判明。

結局、その女性は夫と生まれたばかりの娘を残して、人柱になってしまった。こうして橋は完成したものの、その後夫と娘は姿を消してしまった。

18年後、架橋責任者だった役人が息子の真三郎(まさんどぅ)に人柱になった女性の遺族を探し出し、できるだけの事をするように遺言を残して死亡。真三郎は遺族を探す旅に出て、国頭村で美しく成長した娘を発見する。

しかし、その娘は口を利くことが出来なかった。母親が最後に残した「人より先に口を利いてはいけない」と言う言葉が、娘から言葉を奪ってしまっていた。その為に嫁に行くこともできずにいた。

真三郎はその娘を妻にするつもりで首里に連れて行く。しかし口が利けない事から母親に反対される。

真三郎は娘に「何か一言でもいいから言ってくれ」と頼むと、一匹の蝶が舞い込んできて、娘は蝶に向かって歌い始める。こうして二人は結ばれました。

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伝説は細部が違うものもあります。例えば、「お告げをしたのはノロで、調べてみたら該当者は別のノロだった。そのノロは陰謀である事を訴えたが聞き入れられず、結局人柱にされてしまった」というもの。

1707年に建設された真玉橋は一度大雨等によって破壊され、1836年に改修されています。現在の真玉橋は片側2〜3車線の立派な橋ですが、その脇には第二次大戦で破壊された石造りの旧真玉橋の遺構が復元されています。

北海道にも人柱伝説は多数ありますが、ここ沖縄にも那覇市街地のすぐ近くに人柱伝説の残る場所があることを知って、こうして訪問してみたわけです。

もちろん伝説なので真偽の程は分かりません。しかし「火の無い所に煙は立たず」ということわざもありますし、元となった事実はあったのかもしれません。また、劇化される段階でかなり脚色されているとも考えられます。たとえ実際にあった事としても、そのまま劇化するわけにもいかないでしょうし。

人間を生き埋めにして、その上に建造物を立てたというと「なんて酷い事を」と思う方が大勢いると思います。しかし、現代より劣る架橋技術しか持たず、自然災害の前には現代以上になす術が全く無かった当時の人々にとっては、やむを得ない選択だったのかもしれません。

それに人柱となった女性も、今の立派な橋になってからはもう真玉橋から解き放たれているのでは・・・と個人的には考えています。

久高島

真玉橋を後にしR329→R331と東へ向かう。一度通っているので順調に走行し、安座真港定期船乗り場へ。ここから久高島への船が出ているのだ。

久高島は、沖縄開闢神のアマミキヨが最初に上陸したと言われ、今でも神の島と言われているところ。ノロ制度が出来た第二尚氏時代を境にちょっと変質したと言う話もあるようだけど、それでも当時の王朝からも崇められ、今でも観光客より神事が絶対優先で、一年に渡って各種行事が行われている島。沖縄の五穀が最初に伝わったとも言われ、ある意味沖縄の原点とも言える島。一度はこの目で見ておきたかったのです。

沖縄に来てから毎晩通っている那覇市内の居酒屋の主人に「8時台からフェリーがあったと思う」と言われ、8時前に来てみた訳だけど・・・チケット売り場になっている建物はシャッターが閉まっていた(-_-;)

近くにいた地元の人に聞いてみると、久高島行きの第一便は9時で、8時20分頃にならないと係員は来ないと言われ、いきなり暇をもてあましてしまう。

水分補給のし過ぎで腹の調子が悪くなり、脂汗を流しながらトイレを探して周辺を走り回る(マジでやばかった)というアクシデントがあったものの、8時過ぎにチケット売り場の係員の人がやってきて建物の中に入る。

で、自動二輪が600円と言う事でチケットを往復で買おうとすると、券売所のおばちゃんが「あ、9時の船はあの高速船で、人だけなんですよ」と外を指差す。見ると、停泊しているのは先ほどやってきた「フェリー ニューくだか」(左写真)・・・。

久高島は小さな島だし、2〜3時間あれば自転車で全部回れるとも聞いていたので、スカブはここに置いて行く事にし、自分の分のチケットをフェリー・ニューくだかの往復で購入。

しかし、問題は滞在時間。久高島までは高速船で15分、普通のフェリー(フェリーくだか)で20分とそれほど時間はかからないんだけど、今日は他も回ってみたいし、午前中には戻りたい。しかし時刻表を見ると帰りのニューくだかは11時出航になっている。という事は、滞在時間は長くて1時間45分程という事になってしまう。

あと、問題がもう一つ。実はGW真っ只中の5/3〜5/6の期間は、久高島にて「ハンジャナシー」という神事が行われており、島の北東側半分には観光客も立ち入る事が出来ないという看板があったのだ。

今回の久高島訪問ではアマミキヨが最初に上陸したと言われる最北端のカベール岬や、五穀が入った壷が流れ着いたというイシキ浜、そして中には入れないまでもクボー御嶽(パンフや島の案内板では「フボー御嶽」となっている)に行ってみたかったのであるが、この三つは行けない事が確定し、ちょっと凹みモード。

何はともあれフェリーは定刻に出航。それほど大きくない船なので結構揺れるのであるが、船酔いになるほどでもなく、無事久高島の徳仁港に到着。

安座真港では時々雨が降るどんよりとした天気だったが、こちらは晴れの良い天気。フェリーチケット発売所でパンフを貰って、どこまで北方向に行けるか聞いてみたところ、「行事の責任者の人がちょうど外にいるので、聞いてみると良いですよ」と言われ、外にいたおじさんに話しかける。

とりあえずイシキ浜辺りまでは行けるよと言われ、ちょっと希望を見出した気分に。レンタル自転車を借り、島の東側海岸に沿ってキコキコとこぎ始める。

舗装路は港と集落とその周辺だけといった感じ。畑の横を走るが、時折見かける島の人々も移動手段は全員自転車。車は全然見かけない。小さな島だし、自転車がいちばん便利な交通手段というのが来てみるとよく分かる。

周囲も静かでのんびりとした雰囲気がビシバシ伝わってくるし、スカブを安座真港に置いてきたのは正解でした。車はもちろん、原付で走るのも躊躇われてしまう雰囲気なんですよ。

自転車を止めても聞こえてくるのは風のそよぐ音と波の音、そして時折通る地元の人の自転車の音だけ。久高島は他の島と違ってそれほど観光地化されていないため、離島本来の生活が見られるのもこの島の魅力の一つなのかもしれない。

しばらく走ると、道の脇に白い看板が立てられている。そこには、「神行事中 立ち入りはご遠慮ください」と書かれている。

むぅ〜、やっぱりダメなのかなぁ・・・と思っていたら、地元のオジィ(おじいさんの事を沖縄ではこういう)がやってきたので、行けるかどうか聞いてみたけど・・・強烈なウチナーグチだったので、何を言っているのか断片的にしか聞き取る事が出来ませんでした(^_^;)

もう少し先に行けそうな様子だったのでとりあえずお礼を言い、先に進んでみるが・・・またもや同じ看板出現。と言うわけでここで断念。邪魔するつもりは無いとは言え、どこでどんな神事が行われているかはっきりわからない以上、これ以上進むのは失礼だろう。そもそも神事は見せ物ではないし。

戻る途中で海岸へ行く道が見えたので自転車を置いて海岸に出てみる。どうやら「サチ浜」という海岸らしい。水の透明度が高くてなかなか綺麗な浜だ。海岸は半分は砂だけどもう半分は珊瑚の残骸。南国の沖縄らしい海岸。こういう浜を歩くのは初めてなので、つい地面の写真を撮ってみたりして。

干潮時にはイシキ浜まで歩いていけるそうだけど、この時はそれを知らなかったのと、知っていても神事をやっていたらマズイので、少しの間ここで海を眺めながらぼぉ〜っとしてました。

サチ浜を後にし、今度は島の集落周辺に向けて適当に自転車を走らせる。

すると、いきなり墓地に出てしまった。沖縄の墓地は内地のそれよりとても大きく、地理的にも一等地というか内地だったら間違いなく住宅か別荘が建っているであろう場所に、海に向かって立てられている場所がほとんどだけど、ここのお墓はかなり昔のものと一目で分かるものが沢山ある。おそらく戦争で一度は破壊されたであろう屋根を修復して再使用しているものも。

先祖代々使っているのであろうけど、こうした墓地を持てるという事が正直言って羨ましく感じてしまった。最近の内地のお墓って、地方でも出来合いの墓石に○○家と掘り込んだだけのものがほとんどだからねぇ・・・。持ち主にとっては自分達のルーツそのものでもあるし、これからもずっと使われるのでしょう。

またまた適当に自転車を走らせていたら、そのうち西側海岸に出てしまった。パンフを見ると、付近に「美川(ミガー)」・「イザイガー」・「ヤマガー」という泉がある。まずはいちばん北側のミガーから行ってみる。

海岸のそばのコンクリ階段を降りていくと、ミガーは岩場の下にひっそりとした感じであった。ここは他の泉同様、今は神事の際に身を清める場所として使われることが多い泉。水量は決して多くは無いし綺麗とは言えない水ではあるが、この暑い沖縄地方では水道の無い昔はまさに命を繋ぐ為の貴重な水だったはず。

勝連城で泉に祈りを捧げている人を見たが、そういった風習が出来ていったのもわかるような気がする。

次にイザイガーへ。しかし、ここの階段は岩場が上から崩れてきて見事に崩壊しており、残念ながら見に行く事は出来ませんでした。

復旧作業をするにも大掛かりな重機が必要そうだけど、久高島の場合は多分大きな重機は島外から持ってこなきゃならないだろうし、かと言って周辺にも広い場所など無い。

島全体が住人全員のもので個人所有の土地が無く、一定年齢に達すると農地が割り当てられて、耕作しなくなったら返却するという「地割制」が今でも機能しているのが久高島の特徴なのであるが、復旧作業にも島の住人全員の意見を聞かなければならないだろうし、元の姿に戻るのは当分先かもしれないなぁ。泉がどうなっているのかも心配だし。

何よりここは秘祭・イザイホーにおいて、禊をする場所のはずなんだけど・・・。

お次はヤマガーという所なんだけど・・・正直言ってブッタマゲました。何に驚いたのかというと、そのロケーション。

岩場の一箇所が穴の開いたようになっていて、そのいちばん底の部分にあるんだけど、海側(写真では左側)は斎場御嶽のように一枚岩が斜めに寄りかかっている感じなんです。

内側壁面には若干人の手が入った場所があるものの、まるでこの泉のために作られたような場所で、「余りにも出来すぎじゃないの? これって・・・」とつい声に出してしまうほどでした。もともとはもっと小さな場所を広げた感じもするんだけど、だとしてもこの泉を見つけた事自体も凄いような気がする。

さすがは神の島・久高、恐るべし・・・。

更に周辺を自転車で散歩しつつ訪れたのは御殿庭(うどぅんみゃー)。秘祭・イザイホーが行われる場所。12年に一度、午年に行われるこの神事は、久高島生まれで久高島の男性と結婚した30歳〜41歳の女性が、祖母のセジ(霊力)を受け継ぎナンチュという神女になる為の儀式。男兄弟を霊力で守護する姉妹神(オナリと言う)、家や村の安全を願う神女の資格を得る。

戦前はもっと条件が厳しくて、島から一歩も出た事が無く両親も久高島生まれである必要があった。

しかし、その資格ゆえに過疎化が進んだ現在では該当者が無く、1978年を最後にイザイホーは行われていない。神女も高齢化し、復活は難しいともいわれている。また、新たな神女がいない為にその他の神事も簡素化されている。

久高島は戦前までは定期船も無い、完全に独立した島だったと言われている。それゆえに数々の神事が守り通されてきたのだろう。しかしそれが失われていってしまうのは仕方の無い部分もあるのだろうけど、悲しい事でもある。もはや打つ手は無いのだろうか・・・。

その後港に戻ろうとしてちょっと道に迷ってしまったが、無事出航20分前に港に到着。

エメラルドグリーンの美しい海、そして素朴で昔の生活が今でも根付いている神の島・久高。

いつか再訪する時は、最低でも一泊してじっくり見て回りたいと決意しつつ、この美しい島を後にしたのでした。

※注意事項

久高島の聖地であるクボー御嶽は、男性は昔から入る事を固く禁じられていましたし今でもそうですが、現在は女性でも一般の人は入る事ができないとの事。また、御殿庭(うどぅんみゃー)の神アサギ(東屋のような建物)の奥の森も聖域として立ち入り禁止区域になっています。

久高島には限りませんが、聖域等立ち入り禁止の場所には入らないようにしましょう。地元の人が迷惑がっているのをお忘れなく。また、久高島では島にある物は一切持ち出しが禁止されていますので、行かれる方はご注意を。

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