キャンプ旅に行こう 2003年の北海道ツーリング旅日記です。
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2003年 北海道ツーリング

7月28日

結局ほとんど眠らないまま小樽到着となった。バイクは一番最後になるので車の人達が降りていくのを見ながらロビーで待つ。

ようやくフェリーを降り、R5へ。10分前に入港した舞鶴発の便に乗っていたはずの「とし」さんと「みほ。」さんを探してみたのだが、よくわからなかったので時間的都合もあってそのまま走り始めたのだ。

昨日までは層雲峡経由で瑠辺蘂あたりに行こうかなと考えていたが、TMを見ながら考えた結果、大幅に予定変更。R5からR337経由でR275を朱鞠内方面に北上する事にした。

今日の目標はトロッコ王国でトロッコに乗る事と、松山湿原を見る事。

R337でちょっと道を間違えたりしてしまったものの、それ以外はほぼ順調。とは言え、2日連続の寝不足のせいか北海道の流れの感覚をつかむのに手間取ってしまった。ついついいつもの(内地の)感覚で流してしまい、後続車に無理な追越をかけられてしまう事も。

R275に入ってからは順調に距離をこなす。

途中、北竜町で日本一と言うひまわり畑を見る。TMでは7月中旬〜8月中旬が見頃と書かれていたが、まだ青々としていると言うかつぼみの状態のものも多かった。しかし8割がたはすでに咲いている状態だし面積と数が半端じゃないのでなかなか見事ではあった。

そして何故かダチョウも飼われていた(^_^;) 何でひまわりとダチョウの組み合わせなのか、私にはよくわからなかった・・・。

北竜町のひまわり畑です。駐車場側はまだ青々した部分があったんですが、こっちはほぼ満開状態。なかなか見事でした。

でも、管理するのが大変そうだなぁ・・・。
ひまわり畑の中で飼われているダチョウ君たち。

隣では鴨も飼われていました。

そしてそのままR275を北上。途中、廃線跡と思われる鉄橋を発見、脇道に入ってみた。帰ってみてから調べてみた所、ここを通っていたのはかつて深川と名寄を結んでいた、JR深名線。1995年に廃線となった路線である。

かつて線路があった場所にパシコを止め、鉄橋へ。

かつては重要な輸送手段であった北海道の鉄道も、林業や石炭産業の衰退そして過疎化や車の普及によって活躍の場が失われ、もともと北海道は人口密度も低く原野や山間を走る路線が多い為に廃止対象路線の半分の長さを占めるまでになってしまい、次々とその姿を消していった。

もう二度と汽車が走らない場所に立ち、物悲しい気分になりながらしばし物思いにふける。役割を終えた鉄路はこうして亡骸を残しながら、その存在を後世に残している。しかしいずれ撤去されるか朽ち果ててその姿を消していく。

考えてみればエネルギー効率や一回あたりの輸送量という面からすると、鉄道は車やバイクより遥かに効率の良い輸送手段である。

いろいろ調べてみたら、鉄道の場合は2000馬力の機関車で1000tの貨物列車(貨車自体の重量を含む)、単純計算で1tの貨物を2馬力前後で運ぶ事が可能。それも、運転士(正式には機関士と言うのだが)一人で。

ところが自動車の場合、車重1tの車を2馬力のエンジンで走らせられる? 当然、無理。走らせるどころか、動かす事すらままならないだろう。

しかも車を快適・安全に走らせる為には、線路よりより遥かに広い道路が必要だ。鉄道でも電化区間では変電所が必要になってくるが、道路に比べたら微々たるものだ。環境汚染物質の排出量が自動車輸送より少ないのもメリット。

鉄道のデメリットとしては、保守に手間がかかることから旅客・貨物とも小口輸送だと赤字になってしまいやすい事。人口が少ない所を走るローカル線の大部分が赤字なのもそれが理由なのはお分かりと思いますが・・・。都市部と違って、建設・維持・運営コストを運賃で回収するのが難しいからね。

コンビニや製造業を中心とした「ジャスト・イン・タイム方式」(在庫を持たず、必要な時に必要なだけ生産して、適正なタイミングで適正量を供給)に対応しにくいのも鉄道のデメリットだ。

ツーリングのように、気の向くままに自由に移動したい場合はバイクとか車じゃないとなかなかできない。しかし純粋に輸送とかの場合は、もっと鉄道のメリットを生かせるようにはできないものかなぁ・・・と考えてしまうのでした。

まぁ私ひとりでいろいろ考えたり言ってても、何も変わる訳じゃないのは分かってはいるんですけどね(^_^;)

JR深名線跡にて。

線路は完全に撤去されていますが、周りの地形がかつての面影をわずかに残していました。
かつてはここを汽車が走り、住民の足として活躍していたわけです。

しかし今は・・・。

閑話休題。

その後はそのままR275を走り、朱鞠内湖の脇を通過して美深町に入り道道49でトロッコ王国へ。ここは、かつてここを走っていた旧国鉄・美幸線の線路跡をそのまま使い、原動機付きトロッコで走って遊べるようにした所。乗車賃は大人一人1000円(2003年現在)。

ちなみに美幸線は収支係数が3000以上、つまり100円の収入を得るのに3000円以上の費用がかかる赤字路線ワースト1だったらしい。それを逆手に取って宣伝もしたらしいが、結局廃線になってしまった。しかし美幸線跡を観光に生かそうと、地元の有志の方が線路を一部修復してトロッコ王国を作ったとの事。

で、行ったは良いんだけど・・・ライダーは自分一人で後はカップルと家族連ればっかり。私は小心者なので(自分で言うなって?)、さすがに一人で乗るのも相乗りするのも何となくこっ恥ずかしいし・・・と言う事で写真だけ撮って早々に退散したのでした(^_^;) 乗ってみたかったなぁ・・・。

乗車待ちの家族連れやカップルが何組もたむろしてました。

なお、トロッコ王国の乗車受付はこの建物の中で。
トロッコは何種類もあり、これは4人乗りタイプ。

他にも2階建てトロッコもあり。

お次は当初予定通り松山湿原へ。何でも日本最北端の高層湿原だとか。

駐車場にパシコを止めて歩き始めるが、短いながらも登山と同じ・・・。大汗をかきながら、休み休み登っていく。トレッキングシューズを履いていたのだが、すっかり靴底が磨り減ってしまってて時々足を滑らせて尻餅を付きそうになってしまった。

松山湿原への登山口です。

湿原まで約30分の工程です。ちなみに私は25分で登りました(ちょっと嬉しい)。
こんな感じの登山道を登っていきます。一見何でもなさそうですし、事実登山をされる方には手ごたえがあまり無いかもしれませんが、運動不足の方にはキツイですよ(^_^;)

時々小休止を取りながら一歩一歩足を進めて登っていく。やがて深い森が次第に開け空が広がり、湿原が近い事を教えてくれる。そして登り切った先には、霧で幻想的な湿原の姿があった。そして、ヘロヘロになった体で登り切った所にある鐘を「かぁぁぁぁん」と弱々しく鳴らしたのでした(^_^;)

左上:登りきった先には霧で幻想的な湿原が待っていました。
右上:「長寿の鐘」と言うそうです。由来は・・・不明です(^_^;)
左下:木道が白い闇の中に吸い込まれていきます。
右下:湿原にはいくつもの沼が点在しています。これは「えぞ松沼」。

息を整え、木道を歩き始める。いくつもある沼はし〜んと静まり返り、生えているエゾマツは風と雪で変形しながらもしっかりと根をおろし、そして薄紫色と黄色の花が風に耐えて咲いていた。

周囲は濃い霧に包まれ、自分から離れるに従って次第に輪郭を失い、やがて白い闇に溶け込んでいく。晴れた湿原も良いのであろうが、私はどっちかというとこういった霧に包まれている姿が好きである。

ここの樹木は、風や雪で変形しています。植物の生命力は逞しいです。
湿原に咲く花。他にも名称は分かりませんが黄色い花もありました。

モノトーンの風景の中ではとても鮮やかに見えました。

確かに登るのは大変だったけど、その疲れもひと時忘れて散策を楽しんだのでした。

下山後はキャンプ場に直行。松山湿原登山口まで行った段階で実走行時間が7時間位になっていたのと、2日連続で寝不足状態なので無理は禁物と早めにキャンプ場入りした次第。

森林公園美深アイランドは昨年に続いて2度目の利用。相変わらず連泊オートキャンパーが多い。受付後、良い設営場所が無いか探したが結局昨年と似たような場所に設営する事になった。

で、テントを張る段階でかなり重要なものを忘れてきたのが発覚! それは・・・テントの前室。ムーンライト3型は前室が別体なのだが、うっかり忘れてしまったのだ(-_-;) まぁ元々オプションだし無くてもテントは張れるんだけど、今日は風が少し強かったので夕食を作るのがちょっと大変だった。

森林公園美深アイランドにて。見ての通り、8割がたオートキャンパーでした。

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