キャンプ旅に行こう 2005年の北海道ツーリング旅日記です。
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2005年 北海道ツーリング

8月26日

天気の具合が思わしくない予報だったので、今日は富良野まで出かけてきたのみでした。

R237沿いの農家直営売店にてお土産のメロンを自宅に送った後、他にも何かお土産を・・・と思い国道沿いにある大きなショッピングセンターに立ち寄ったが、海産物は港の近くが良いかなぁと思い結局何も買わずじまい。

TMを見て「ニングルの森」と言うところへ行ってみようかと道道705へ。で、突き当りを右に曲がって更に進む。TMでは「ダート1.3km」と書かれていて、実際そうなっている。で、ぱっと見フラットダートのように見えたので60km/hほどで進入・・・したら、砂利が予想外に深く車体が左右に思いっきり振られ、かなりビビリました(滝汗)

ダートを抜けるまでは30km/hでトロトロ進み、ダート区間を抜けた時は心底ホッとしました。

少し先に「原始の泉」という所があったので寄ってみたが、まぁ何の変哲もない湧き水と言った感じ。事前調査しなかったからそう感じたのかもしれないが。水質検査表が張られていて、それを見ると一応飲めるみたいなんだけど・・・念の為に止めておきました(^_^;)

原始の泉は、以前は台所のシンクが置いてあるだけだったらしいのですが、今は看板が設置されてホースの周りに石が置かれて湧き水らしい演出(?)がされてます。

白い看板が水質検査票。飲用可能となっております。

で、ニングルの森まではダートになるんだけど、砂利が敷き詰められていて先ほどの件もあるので、これも止め。

で、その後麓郷まで行ったんだけど・・・雨が降り始めてきたし風も今日は強かったので、カッパを着て国道方面に戻る事に。

国道に出る直前で、鳥沼公園方面にハンドルを向ける。鳥沼公園キャンプ場がどうなっているのか見ておきたかったからであるが、行ってみたら・・・やっぱりただの空き地と化していました。トイレもシャッターが下ろされていて使用不可。トイレの外壁に張られた、文字が消えかかったアルバイト募集の手書き広告が何とも言えない寂しさを感じさせました。

私が前回ここに来たのは、初北海道ツーリングの1994年だったから11年前になるんだけど、今はバイクは当然ながら1台も無く横を通っている道道298もバイクの姿はなし。当時の賑やかさはまったく残っていませんでした。

閉鎖された鳥沼キャンプ場。この時期なら以前は長期滞在者を初めとしていくつもテントが張られていたのですが、今はその面影は無し。

トイレも閉鎖されて使用不能になってます。
・・・だそうです。

ここにいた人達はどこへ行ってしまったのでしょうか?

雨も本降りになってきて風も強いし・・・と言うわけで、国道に戻って富良野のホーマックによって時間をつぶし、美馬牛駅へ。ここの近くに食事の美味しい店があるとtoshiさんに教えてもらったので行ってみた。TMには載っていないという事もあって、ライダーは私一人。なかなか良い雰囲気の店で食事も美味しかったです。店の具体的な場所は秘密と言うことで(^_^;)

その後は宿に戻り、のんびりしていました。

と言うわけで、私の今年の北海道ツーリングも明日が最終日になります。ほぼ1ヶ月の北海道ツーリング、長いようで終わってみるとあっという間だったなぁと言う感じです。いろんな人との出会いがありましたし、いろんな風景との出会いがありました。それに今年は、車で旅をしたり登山をしたりと今までとはちょっと違った旅もできました。

来年もまた来られたら・・・と思っていますが、もし北海道に来られたら今度はディグリーで来たいなと考えています。オフ車だと行きたい所が増えるんですよね。一ヶ月間いても行きたい所が減るどころか、むしろ増えてきている感じです。

8月27日

起きて外を見ると、空は青空が広がっている。今回の北海道ツーリングの道内最終日はカッパを着なくて済みそう…と思ったら、朝食を取って荷物を整理しているうちに曇って、パッキングを済ませたら雨(-.-;)

幸いにしばらく様子を見ていたら止んだので、9時半に宿主toshiさんに見送られて「旅の途中」を後にする。

今日は苫小牧東港までと余裕があるので、富良野市街地から道道135に入り、R452へ。途中、鹿島地区に立ち寄る。

国道の脇から何も無いのに2車線の舗装路があったので、入っていってみる。少し先には、廃屋が1件だけ残っている(調べてみたら、電器店だったらしい)。その他は建物は全く残っておらず、縦横に走る舗装路と電柱数本だけが残っている。そう、ここ鹿島地区は既に廃墟ですらなくなっていた。

昭和30年代の最盛期には、2万人以上の人口があった街だとはとても想像できません。残っている2車線舗装路ですら朽ち始めています。何年か前の旅日記で北海道という土地は開拓地であると書いたが、そうして苦労や犠牲を重ねて作った街も、いとも簡単に自然に戻っていってしまうという事に無力感を感じてしまったのも事実です。

かつての大夕張駅・駅前通り。一つだけ廃屋が残されています。電器店だった建物らしいけど・・・。

道路も両端から雑草が侵入して朽ち始めてます。
上の写真以外の建物はすべて解体・撤去され、更地と化しています。所々に電柱がポツンと残されているのみ。

平成10年まで細々ながらも人が住んでいたとはとても思えません。

ちょっと話はそれますが博物館網走監獄に行くと、北海道開墾の歴史は囚人や「タコ」と呼ばれた工夫達の強制労働のよるものという、非常にダークな面を持っているのが良く分かります。過酷な労働と栄養失調、そして虐待によって多数の死者を伴いながら鉄道や道路が建設され、それを現在の私達がその利便性を享受しているのです。

トンネルや橋梁には人柱伝説がある所が北海道では良くあります。R244沿いにある、先日行った旧国鉄・根北線の(※1)第一幾品川橋梁や石北本線の留辺蘂駅の少し北にある(※2)常紋トンネルもそう。他にも朱鞠内湖は有名ですし実は糠平ダムにもあったりします。

人柱と言うと証拠が無いし嘘っぽい・・・と言われる人も多いと思いますが、当時強制労働させられていた人々は自分が生き延びるのに精一杯だったはずだし、強制労働させた人々も自分達に都合の悪い事を後に他人に言うとも思えないし、資料があったとしてもできる範囲内で破棄したか隠したというのが自然な流れと思います。

囚人や甘い言葉で内地の都市部から集められた人、そして外国人を使った過酷な強制労働が行われていたのは事実ですし、その頃の工事現場から人骨が多数発見されている(中には鎖で繋がれた状態の骨もあったとか)以上、人柱を立てる事が実際に行われていた・・・と考えるのが自然ではないかと私は考えています。

※1:第一幾品川橋梁
かつて橋脚を2本撤去する時、橋脚の中から人柱にされたと思われる人骨がゴロゴロ出てきたとか、テレビ局かどこかが非破壊調査したら、橋脚に何体も埋まっていたと言う話あり。真偽は今の所わかりませんが・・・。

※2:常紋トンネル
JR石北本線の現役鉄道トンネル(TM北海道版P41−K−2&P42−A−2)で、昭和45年の壁面補修工事の際に人骨が立った状態で発見され、人柱が確認された唯一のトンネル。周辺からも人骨が発見されている。常紋トンネルの事は、えんがぁるネットというホームページに掲載されています。

えんがぁるネット > 散歩道 > 北海道雑学 > 常紋トンネル


ただ景色や食べ物や温泉を楽しむのも良いですが、北海道にはそういった暗い面もあるという事を知った上でツーリングに行かれるのも良いと思いますよ。美瑛や富良野、そして女満別近辺に見られる綺麗な丘も、実は開墾によって山を削って人為的に作られた景色であり、観光客にとっては綺麗な景色でも、丘であるが故に農業を営む上では苦労が多いという事も。

閑話休題。

そして、国道沿いには駅のホーム跡と思われる物も見つけました。裏手に回ってみると、一直線に続く雑草に覆われた舗装路。そう、鉄道の路盤跡です。三菱石炭鉱業鉄道というらしいのですが、昭和48年に南大夕張(駅跡とラッセル車・客車・貨車が保存)〜大夕張炭山が廃止、昭和62年に清水沢〜南大夕張間も廃線。

ダム建設に伴って国道も一部が水面下になってしまう為に、付け替え工事も行われています。また、国道沿いには廃線の遺構も多数残っています。シューパロ湖(新しいダム湖はこのシューパロ湖を作っている大夕張ダムすら飲み込んでしまうとの事)にも使われなくなった鉄道の橋梁が。

国道沿いに残るホーム跡と思われる盛り上がり。後で調べたらこれが大夕張駅跡のようで、奥に回ってみたら路盤跡も残っていました。
ほぼ完全な形で残っている橋梁もあります。調べたところによると旭沢橋梁と言うそうで、かなり特殊な構造をしています。

写真でお分かりと思いますが、かなり高い所にかけられた鉄橋です。

道道38号に入り、夕張駅横にある快速旅團に立ち寄る。以前から知っていた店なんだけど、ちょうど良い機会という事で寄らせていただきました。團長さんや幹事長さん、他のお客さんとコーヒーを頂きながらしばし談笑。30分以上まったりしてました。

快速旅團では軽食もできます。店内は私にとって「う゛っ!これ欲しい!」という商品がいくつもありました。

財布の中身が寂しくなかったら何か衝動買いしてたかも(^_^;)

その後は苫小牧市街地に行き、漁港近くの市場へ。海産物を各種取り揃えて自宅に送った。快速旅團で千歳空港でも買えると教えてもらったけど、漁港の近くがいいかな・・・と思い、結局toshiさんに教えてもらった市場で買い物しました。

とりあえず用事を済ませたので、苫小牧東港へ直行。

乗船してとりあえず缶ビールを1本。出航して間もなく就寝体制に。ちょっと揺れたけど、ゆりかごのような気分で個人的には悪くない感じでした。

8月28日

フェリーの中は人でごった返していたが、秋田港を出航したら混雑はかなり緩和された。秋田で乗った人もいると思うが、それ以上の人数が降りたようだ。

行きもそうだったけど、基本的にヒマ。ホールで一服したり食堂で昼飯を取ったりデッキで海をぼ〜っと見てたり。それ以外は自分の寝台で寝ている事が多かったですね。旅疲れからなのか、寝台で横になってるといくらでも寝られるんですよねぇ(^_^;)

午後3時半、定刻で新潟港到着。降ろしていた荷物をくくりつけ、トラック・乗用車に続いて我々ライダー組も下船・・・なんだけど、私を含めた数台のバイクはすぐ後に止められた大型トレーラーの為に方向転換が大変。ご近所さん同士で助け合って切り返ししながらバイクの方向転換をし、ようやく下船しました(^_^;)

新潟港から自宅までは300km以上あるので少々気が滅入るが、走らない事には帰る事ができない。混雑するR7とR49をラジエータのファンをぶんぶん回しながら抜け、ようやく新潟亀田ICで高速に入って北陸道から上信越道へ。

妙高SAで、雨は降っていなかったがとりあえずカッパ着用。南方向は厚い雲に覆われていたという事もあるのだが、降り出してから慌てて路肩でカッパを着るのは避けたかったのである。

しかし・・・結局家まで雨が降る事はありませんでした。も妙高高原あたりは結構冷え込んでいたので、カッパを着たのは無駄にはなりませんでした。さすがに中央道に入ってから脱いだけど。

午後9時半頃、無事帰宅。とりあえず風呂に入ってさっぱりし、溜まりに溜まったメール(ほとんどがスパムなんだけど)を一通り目を通して整理し、布団に潜り込んだ。

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一ヶ月という長い旅は初めてでしたけど、長期の旅をする場合のコツがちょっとだけ分かったような感じがします。もっともこんなに長い旅に出られるのは当分ありそうに無いですが。

一番痛感したのは、北海道ツーリングするなら自分の場合はオフ車で行ったほうが楽しめる、という事。行きたい所がダートを走った先にある事が結構ある、という事もあるんですが、林道にも積極的に入っていってみたいなぁとも思い始めてるんですね。

それから市街地や国道から一歩脇道に入ってみると、雑誌などに出ているような風景がいっぱいあるという事。積極的に脇道に入るようになったので、そういう場合は小回りの聞く250ccクラスのオフ車が良いんですよね。

そしていろいろな人との出会いの中で、考えさせられる事もある旅でした。

例えばTMの製作者側と利用者側の意見両方の言い分を聞く機会があったりとか、キャンプ場でのマナー、そしてキャンプ場でのゴミ問題等々・・・。

特にキャンプ場でのマナー問題やゴミ処理に関しては某有名雑誌のイベントでトラブルがあった事を聞き、自分でも和琴半島湖畔キャンプ場で自分は無関係だったとは言えトラブルに遭遇しているわけですし、今後どういった動きをしていけば良いのか考えさせられる事が多かったです。

何はともあれ無事に帰宅できたわけですし、一部の方には話していますがちょっと事情があってこれからしばらくは大変なんですが、次の旅に向けて頑張ろうかなと思ってます。

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